ただよう

Chartreuse2009-05-07

ご無沙汰しております。
人生の中で、今まさに底辺をうろついているしゃるです。
いつかはこの低迷は抜けると思っているから、そう焦っていないし、悲観してもいない。
でも出口が見つからなくて、とにかく悪いことが重なって、それが私だけではなく、身の廻りにも影響を及ぼしてくのにはちょっと困っている。
実は今、前厄なんですが、前厄でこれならば、本厄のときどうなっちゃうのかしら?
なんとなくネットサーフィンをしていて見つけた占いサイトで、私の今年の運勢は“死”とでた。
まあ“死”を迎えたように今年全てのものを精算して、また生まれ変わるということらしいのだけど、それでも“死”はいやだなあ。

普段は霊感なんて全くない私なのに、しょっちゅう幽体離脱しちゃう人の「幽体離脱した方」と出逢ってしまうというちょっと衝撃的な出来事もあり、スピリチュアルなお友達に良い霊媒師(?)いないかなあと訊いたら、ああ知ってるよ、とある方を紹介してくれた。彼女がどれほどスピリチュアルかというと、例えば朝から一休さんのエンディングテーマが朝から頭を離れず、「夕べ杉のこずえにあかるくひかるほしひとつ 見つけました〜」を何度も何度も心の中でリフレインしてしまう午後、でもその続きの歌詞がわからず同じ箇所をリピートしていたところ、背中合わせで作業していた彼女が、ふいに「星はみつめます 母上のようにとてもやさしく 私は星にはなします」と口ずさんでしまうほどスピリチュアルなのです。
まあそおんな彼女に、霊媒師(?)の名字と携帯電話を教えてもらう。
「何度かかけてみてね、私の友達は本当に救われたって言ってたから」
翌日その携帯番号にかけてみるもつながらず、さらに翌日、その翌日とチャレンジ。考えてみれば電話がつながって予約したとしてもどこに行けばいいかもわからぬし、いくらかもしらない。普通ならこんな危険なことはまずしないけれど、私はそのスピリチュアルな友達のことを心から信頼していて、大好きだから疑いはない。なんとなくたとえつながらなくても電話をかけるだけで心穏やかになる気がするし。
ある午後やっと電話がつながって、えらく声の高い女性が予約をとってくれた。一番早くて9月28日。それまでに私、死んじゃうんじゃないかな。

まあ引きこもっていてもしょうがない。
ということで、ゴールデンウィークは沖縄に行ってきました。5泊6日で目的はもちろんダイビング。中4日間、計10本で慶良間の海を楽しみます。
沖縄といえど、海の中はまだまだ春。水温は23度と低く、30分を超えたあたりからさぶくてさぶくて。
でもパラオと違って穏やかな沖縄の海は、うっかりアップカレントやダウンカレントにつかまってひやりとすることもなく、マスクが飛ばされそうな激流に向かって泳ぐこともなく、まったりリラックスダイビング。珊瑚は美しく、かわいいクマノミもたくさんいたし、ダイビング最終日はなんとクジラも姿を見せてくれて感動。夜は那覇ハーリーの花火を船の上から間近で観ることができて、最高のひとときでした。
飛行機に乗る前18時間はダイビングは出来ないので、最終日は那覇観光。那覇には何回か来ているのだけど、遊びで来たのは実は初めて。首里城、やちむん、国際通り・・・。街をぶらぶら歩いて沖縄そばを食べて、ぜんざいを食べて、お土産屋さんを冷やかして。首里城では、城内の説明に決して第二次世界大戦という言葉を使わず「先の対戦」もしくは「沖縄戦」と書いてあったことに胸を突かれたし、ぜんざいに使われていた小豆は宮古島産で、歯ごたえがあり黒糖で煮詰められた小豆はとても味わい深かった。
その昔、同じように私は旅先で、街の角毎にはしゃぎ、写真を撮ったことがあった。今から7年前で、私にはなんの苦労もなかった。ただ目の前のたったひとつの心をこの手に包むことができるのか、それだけが私の唯一の関心事で、それ以外のことは、本当に一切がどうでも良かった。その純粋さが嫌で、あらゆる事柄に感心があるふりをした。新色のリップにはしゃぎ、シンデレラのようなぴったりの靴を探し求めていた。
30歳になった私は、もっとゆったりと苦しみを受け止める。ゆっくりと呼吸をして、辛さを、痛みを噛みしめる。そのひりひりとした感覚を、少し快感に思うマゾヒスティックな一面がある。それでも、心の奥底では、求めている。あのときのようにひとつのものを全て手に入れたいのではなくて様々なものを少しずつ手にしたい。必死に追うのでもなく、痛みに涙を流すのでもなく、ただ途方にくれているようにも思う。写真に写った私はこの沖縄の濃い色彩の中に、すっかり同化してしまっているのではないかしら。後ろの緑が透けてしまうのではないかと思うほど、私の心は遠い。それでも、それはそれでまた、まあいいか、と思う。真っ青な海中に漂って、海底の砂に映し出される光の波紋をじっと見つめているような気分。ひとときも同じ形をとどめていないそれは、いつまでも見飽きない。目を閉じるといつも、その青の中にいる。そんな気分。