ひとつの特集が終わり、緊張の糸が切れたのか、本日はダウン。山登りに行こうとか、誕生日プレゼントを買いに行こうとか、いろいろと計画はあったのだけど、ひたすら寝てしまった。夕方ようやく起き上がれるようになって、Macを起動して目にしたのはこんなニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081018-00000010-maip-soci

30歳を迎え、さて、次の10年をどう生きていくか、というのが私の今の関心事で、20代、私は大学を卒業して以来、曲がりなりにもマスコミュニケーションという世界で生きていた。それでも、誰かを傷つけるような仕事はいやだなどという甘ったれた考え方でまずは旅行ガイドブックという世界に入った。旅行、グルメを中心にそのうちライフスタイル全般の編集をするようになり、やがてブランドのプレスパーティーに呼ばれモエをただで振る舞われる身分になり、この2年は鶏口牛後ではあるが、ひとつの媒体の責任者となって、世界のリゾートや日本の高級温泉などにも仕事でお邪魔させてもらった。
この10年、つまり私は消費者の代表として、常に「買え、もっと買え」と叫び続けてきた。若い私は、少しばかばかしいとは思いつつも、消費の先にある素晴らしい世界を少しは信じていた。夜ごとのパーティーや、高級時計や、孤島のリゾートや、その華々しい消費の先には新しい世界があり、楽しい未来が待っていると。

だけどもう時代遅れだなと思う。
身近にサブプライムとリーマン破綻で数億失った人が幾人かいる。幻想の崩壊。一夜にして帝王は卑屈な乞食に。この世界がいかにもろいかをその人を通じて痛感する。

雑誌が売れなくなったという話は今に始まったことじゃない。だから4年前、私は思いきって雑誌からウェブ上の情報提供サイトの編集に移行した。だけど、それは単に紙からウェブへの移行という話じゃない。
もう世の中全般に興味がないのだろう。文学作品が売れないのと良質な雑誌が売れないのは一部共通すると思う。自分を超えた世界を手に入れる瞬間。新しい世界を垣間見る喜び、憧れ。人はそんなものを求めない。
最初に紹介した毎日新聞の記者がいうように、雑誌は生き残りをかけて「読者目線」に走った。そういう雑誌が売れるから、作る。それはかまわない。それでも私がこのニュースにひっかかるのは、最後の文章、「雑誌危機の時代を生き残る秘けつは、当たり前のことではあるが、「読者目線」(久保研究員)に尽きるのかもしれない。」というところ。
なぜ、当たり前のことなのか。自分の置かれた境遇を確認しあう作業は必要なんだろうか。ファミレスでお茶を飲みながらうだうだと愚痴をこぼすのと、何が違うのだろう。
若い頃、私は、雑誌が大好きだった。触れるだけでわくわくした。手に入らなくても、憧れは無限だと思っていた。
でも今は、全くはしゃがない。
私はこの10年で、消費社会と情報産業のもろさを知ったし、世の中も変わった。憧れよりも現実が大切な社会。シビアな社会。
次の10年の生き方を、今考えているところ。