マイスターへの道
週末はスモークチキン、ベーコン、ラム、ソーセージをいぶしてみました。
燻製というのは、とにかく時間がかかるもの。塩漬けにして、寝かせて、塩を抜いて、ものによっては調味液につけて、乾かして、5、60度の温度でゆっくり乾かし、だいたい1時間から4時間スモーク。生ハムなんかだと、毎日3時間を14日間繰り返す、とかあって笑っちゃいます。しかも温度は25度以下で、とかね。だから日本で作る場合、冬場しかできなくて、今年の冬は絶対生ハムに挑戦しようと思っている。だいたい私は、室温でも菌がぶくぶくと発酵してくれる夏がすきなのだけど、燻製をはじめてから、秋や冬の楽しみを知ることができた。今は冬の夜の寒さが待ち遠しいくらい。気温でいえば、ビール造りやソーセージ造りも夏は適さない。今回も失敗したのだけど、ソーセージは気温が高いとミンチを捏ねている間に脂が溶け出し、仕上がりがぱりっとしない。ビールの仕込みも常温で放っておくと温度が高くなりすぎるから、理想的な温度は9月下旬から。シードルはというと、今の時期でも元気よく発酵してくれて楽しいのだけど。
とまあそんな感じで、コールマンのスモーカーは大活躍だし、電熱器とサーモスタッドも導入したから薫製自体はだいぶ快適に行えるようになったのだけど、なれてくるとこのスモーカーにもいろいろと不満が。コールマンのスモーカーはみかけはかわいいのだけど、いちいちふたを持ち上げると温度や煙が逃げてロスが大きい。電熱器をセットするスペースもないから熱効率が悪いし。ということで、今度の週末は木材を買いにいって理想のスモーカーを手作りしようか。
日曜日は夕方から大スモークパーティー。じっくりスモークしたチキンは、味わい深くて合鴨みたい。黒ビールやウィスキーがあいそう。香り高いベーコンは、豆の煮込みやミネストローネやカルボナーラなど、料理の脇役、というか重要な香り付けとして大活躍。それにしても自分で作ったものが、一番おいしいってとっても幸せなこと。来週は何をいぶそうかなー。
シードル造り
今年は、ビール、ワインなどを自家醸造しようと思って、発酵用のタンクや王冠や打栓機などを揃えつつある。(※日本では酒造りは認められていないため、もちろんアルコール1%以下で計画しています)
ワイン用に適したぶどう、小公子も栽培農家に問い合わせて10㎏確保。今年は日照が悪く糖度があがらないため8月末くらいの発送みたい。お日様、がんばれー!
そんな中、最近夢中なのがシードル造り。りんごで酵母を起こして、元気いっぱいの酵母にりんご100%ジュースを注ぎ発酵させて、瓶に移し替えて砂糖を加えしばらく置けばシードルのできあがり!シャンパーニュの製法と全く同じですね。発酵を終えた瓶の底には仕事を終えた酵母が沈んでいて感動。お疲れ様でした。酵母さんたち。
できあがったシードルは柔らかな発泡で口当たりまろやか。とってもおいしい。
仕込みからできあがりは2週間。ほとんど手間いらずで、こんなに美味しいシードルができるなんて、すばらしい!
(※もちろんアルコール度数1%未満になるように作っていますよ!)
海の日は豚を
海の日は朝から、一週間前に仕込んだベーコンの燻製作業と、ソーセージ造り。
ソーセージは羊腸と豚腸に挽肉をつめていくのだけど、これが結構難しい!!
ちょっと不機嫌になったりしながらも、最後らへんではなれてきて、なかなか良い感じのソーセージができあがり。さあ、燻すぜ!
桜チップとヒッコリーのミックスで、いぶしている間も良い香り。いぶしたソーセージは最後に65度で10分、75度で30分茹でてできあがりです。
ベーコンはちょっと塩っからく、ソーセージは腸が主張しすぎていたけれど、なかなか旨い。あと数回造ればコツをつかみ、自信をもって世にリリースできるようになると思う。がんばるぞー!!
競馬場に架ける虹
3連休の中日、朝はヨガに行き、帰ってきてからマンションの庭掃除(芝刈りが楽しいから率先してやっている。アーモンドの木とかズッキーニとかぶどうとか、勝手に植えさせてもらっているお礼として)の後、お昼を食べて、午後からショウガを煮込んでジンジャーエールのシロップを作り、りんごの酵母とパンの種を仕込んだあと、ぽっかり時間が空いたので、マリオカートばかりして時間をつぶすのもどうかとおもったし、馬がみたいなーと思ったので思い立って競馬に行った。
大井競馬場。モノレールの「大井競馬場前」に降り立ち、とりあえずは正門を目指す。何しろ初めてなのでなにをどうしていいかさっぱりわからないけど、まずは入り口前のおばちゃんが売っている競馬新聞を買う。5種類くらいあるのだけど、特に銘柄に希望がない旨を伝えると、「女性にお勧めなのはこれ」と日刊競馬を勧めてくれた。競馬新聞がなんの役にたつのかはわからないのだけど、500円もしてびっくり!まあそれは良いとして、競馬場は入場料が100円とあって、家族連れもとても多い。ちょうど第五レースの購入締め切り直前だったので、前半部分が母のイニシャルと同じワイエスパンチと、父の名前の一部が入っているフレンドヒデコと、なんだか高貴そうなロイヤルプレジャーの三連単を100円分買う。馬券の売買は非常にシステム化されていて、ノンストレスで買うことができる。湘南新宿ラインのグリーン席に乗るよりずっと簡単。すごいなー。
いつのまにかレースが始まって、あえなく私の予想ははずれ、レースが終わった直後からは次のレースに出走する馬たちをパドックで見学したりする。落ち着きのない馬やいやいやそうな馬やいろいろいてかわいいけれど、どれが勝かはさっぱりわからないから、本日は終始、私の敬愛するマイケル・ジャクソンの誕生日でかけていこうと思った。
それにしても競馬場は美しい。レースとレースの合間はちょっと時間があるから、のんびり芝生に座ってビールを飲んだり、人々のざわめきを楽しんだり、久しぶりに夕暮れの空を見上げたり、見上げた空に偶然虹があったり、とても楽しいところだ。気になる成績は、第8レースで、私のかけた8-2-9と、レース結果の11-2-9が接近したところをのぞけば、あとはかすりもしなかったけれど、今度はシャンパンやバケットやハムとか、ピクニックバスケットを持ってくるのも楽しそう。
良い夏の一日でした。
好物
私の一番の好物は、西武池袋の地下にあるスーパー、自由が丘ガーデンにおいてある、骨付き豚肉のグリエ。最近焼き加減も極めてきて、美しい編み目と、絶妙な火加減で仕上げることができる。昨日、23時の豚のグリエのことを思い出していたら無性に食べたくなったので、今朝会社に行く前にニンジンのスープを仕込んでおいた。退社後は閉店ぎりぎりでガーデンに駆け込み、運良く30%オフになっている骨付き豚を購入。“きたあかり”を皮付きのまま適当な大きさに切ってクレイジーソルトとローズマリー、それとグリルパンで焼き色をつけた豚肉と共に200度のオーブンに入れる。それだけで、最高に美味しいグリルのできあがり。
これには、素朴で力強い赤ワインがあう。カリフォルニアのボンテッラメルロ。土の香りのするワインと、汗ばむ身体。申し分ない梅雨明けの夜。これらの味覚はあまりにも幸福だから、視力も聴力もいらないと思ってしまう。
恵比寿
今日は暑かった。
私はぼんやりと、恵比寿の街角のカフェで、特になにも考えることなく注文した特に美味しくもないサンドウィッチとオレンジジュースに1040円も払ったことになんとなくがっかりしながら、iPhoneでマイケル・ジャクソンのButterfiesを聞いていた。10代の頃、私にとってマイケル・ジャクソンは人生の全てで、英語の教科書の“Hello,Nancy.How are you?”より先に、Black or Whiteの歌詞を暗記した。まだティーンエイジャーの娘を山陰の小さな街から、一人夜行バスで東京ドームで行われる彼のライブへ行くことを許可してくれた両親には、今でも感謝している。私がマイケル・ジャクソンに夢中になったのは、小学校4年の春、初めて訪れた東京ディズニーランドでキャプテンEOを見たのがきっかけだ。後にマイケル狂となる私を母が容認してくれたのは、あのとき一緒にキャプテンEOを見た母も、彼なら間違いない、と思ったからだそうだ。
2001年に発売された「Invincible」は、当時の私の心をさほどつかまなかった。それでも今聴くと、驚いてしまう。聞き入ってしまう。だいたい、私はマイケル・ジャクソンよりも10年遅いのだ。それはいつもそうだった。アルバムのリリースとか、本当に大々的に、正式に発表したもの以外、山陰の小さな街に住む一人の少女が全精力を傾けて情報を入手しようとしても、彼の些細なニュースや映像が手に入るまでには3年かかった。私が胸ときめかせて見入るマイケル・ジャクソンは3年前のもの。まるで別の星の光みたい。
数年前、クロード・ルルーシュにインタビューしたときに、彼は言った。現代では、愛はとてもスピーディーだ。電話やメール。じっくり考えて向き合う暇がない。我々の時代は、ひとつの愛を実らせるのに、多大な時間がかかった、と。彼は特に、現代の愛のあり方を否定してはいなかった。ただ、その違いを語っただけだ。でも、過去のあり方に好感を持っているらしかった。私だってそうだ。
伝書鳩が危篤を知らせる時代があるならそこに行きたい。
1万2000キロ離れた場所の地下鉄の改札でひっかけてスーツのボタンが取れたなどという情報を、リアルタイムで知りたくなんかない。
先月からまた恵比寿で働いている。
この不況の時代に、まあまあの給料をもらい、それなりに大きな仕事をできる比較的恵まれた環境。もちろん私は全く興味がなく、それらを淡々とこなすだけ。今は別にそれでかまわない。社長は良識のある人で、会社の環境も良い。膨大なプレゼン資料を書きながら、心は常に別の世界の住人。ビジネスマナーだとか、クライアント満足だとか、トンマナ(トーンアンドマナーの略だって!!)だとか、くだならい。私は、美味しい食事と寝床があればそれで良い。
ずっと恵比寿は私にとって特別な場所だった。広尾のマンションに入り浸ったのは20歳の頃だ。駅前のスーパーのナスの表示がeggplantだったり、七面鳥が並んでいることに驚き、頻繁に連れて行ってもらう深夜の恵比寿のレストランに心ときめいた。23時を廻って、骨付き豚のグリルを食べる人があんなに大勢いるなんてしらなかった。私はすっかり夜型になり、1週間夕日しか太陽をみないこともあった。若くして成功した彼は、私の中ではagelessだったけれど、当時28歳だった。その頃の私にとっては圧倒的な存在だったけれど、今の私より若い彼は、戸惑い、心細いことも多かったのだろう。ようやく対等になれたのは、26歳の頃だ。数回の紆余曲折を経て、ついに彼は来世では私と一緒になるという結論に至ったらしい。何がわかり合えないか、何がわかり合えているか、それさえも分かってしまうから、この世では語り合うことはないって。私はその申し出を断った。
20歳の私はもちろん無垢で夢中だったけれど、10年後、こんな風にうだるような暑い午後、ぼんやりとまずいコーヒーを飲みながら、今の自分を思い返すだろうということを予感していた。ほとんどの人の生き様は、どこかで誰かが本や映画や音楽の中で語っている。
明日もどうやら暑いみたい。
ねじまき鳥
なにもない私だけど、時間ならあり余るほどある。今日は朝から激しい雨だったけど、夕方になって水の底のような部屋に明かりが差し込んできたので手紙を投函しに出かけた。洗いざらしのゆったりとしたTシャツを着て、リラックスした綿のパンツをはいて、まだ水たまりが残る道だから、ダイビングで使い洗ったまま放置していたクロックスに素足を突っ込む。ブラシでといただけの髪の毛は束ねることもせずそのまま風になびかせて、洗顔後SPF30の乳液をつけたままの肌にはファンデーションをはたくこともせず、唇は蜜蝋とスイートアーモンドオイル、そしてミントのエッセンシャルオイルを加えて作ったリップクリームを、乾燥防止に塗っただけ。
5月の初旬の雨上がり、空気の塵は全て洗い流され、青々と茂った桜の葉や庭先に咲く花々、スイカズラやシャクナゲ、白丁花の白や赤をまるで熱帯の花々のように鮮やかに見せる。それでも空気はほどよくひんやりと軽く肌をなで、そう、これはパリの6月の夕暮れみたい。だけど、おかしいの。生まれ育った日本の、夕暮れの街を歩くのに、私は1、2回訪れた旅先をいちいち引き合いにだす。
なにかと比較してしか、私は今いる自分の世界を語ることができない。
考えてみればこの2年間、私は自分の言葉を売って生きてきた。
自分のための言葉はなにひとつ残っていなかった。
村上春樹の「アフターダーク」を再び読んでいる。
もう14年もの間、なにか辛いときは村上春樹を読む。その事実だけでも村上春樹はすごい作家だと思う。文学上の難しいコトはわからないけれど、辛いときに慰めをくれるものー音楽でも絵画でも詩でも、それは、絶対的な消費者である私にとっては最も価値のあるもの。そういえば、まだ若い頃、理解できもしないのにロンドンのテートモダンを訪れたことがある。ワケのわからない現代アートが並ぶ中に、ひとつ目を惹く絵画があった。それは何をモチーフにしているのだかさっぱりだけれども、妙に心に響いた。作者を観ると、パブロ・ピカソ。なるほど、本当に偉大な芸術家の作品は、観る人の教養を選ばないのね。「プリティ・ウーマン」でもヴィヴィアンは、「椿姫」のアリアに涙していたものね。だけど、あの映画のテーマって何なんだろう。男は美女が好き、女は金が好き?
そんな感じで、私はねじまき鳥がねじを巻くのを待っている。