パンを焼く才能

Chartreuse2008-09-13

オアフから帰ってきました。
この一年は実にいろいろなところにいきました。スリランカ、オーストラリア×2,グアム、香港、モーリシャス、ハワイ。まあ仕事なのだから別に普通といえば普通だが、それでも成田空港近辺の民間駐車場のおじさんと仲良くなるくらい、成田には赴いた。
なんでもオアフは地球のおへそにあたる場所らしく(地球のおへそってなに?)、その筋の人が行くとものすごい力を得るらしい。反対に弱い人が行くと、土地のパワーに飲み込まれてしまうそうだ。飲み込まれるとどうなるのかはわからんが、鬱病の人は多いらしい。

そんな私はあと一月ほどで30歳を迎える。
まあどうということもないが、重い腰を上げるには良いタイミング。
良い感じで時差ぼけで朝6時に目が覚めたので、今日は朝一でソフトバンクショップに赴き、しばらく前からメールの着信を知らせなくなったNOKIAの携帯をiPhoneに変えた。どちらも使いづらい携帯の代表格。なんと、NOKIAからiPhoneにはアドレス帳が自動で移せない。仕方なく手作業でアドレスブックを入力するのだが、しばらく音信のない古い友人はばっさばっさと切り捨てた。
ソフトバンクショップの後は、安くてほどほどの質の肉を揃える肉屋で、鶏もも肉や牛すね肉、豚肩ロースブロック、牛ももブロックなど一週間分(以上?)の肉を買い、その後JAのファーマーズマートで粗野で健康そうな野菜を大量に仕入れた。今日の夕ご飯は白インゲン豆とトマトのスープと骨付きチキンのグリルでね、明日のランチは自家製のハンバーガーにしよう、明後日の夜は牛すね肉の黒ビール煮込みはどう?
ごくごく一般的な幸せなカップルの光景だけれども、私は帰宅して大量の食材を冷蔵庫に収めながら、もうだめだ、と思う。この不満やいらだちや怒りや絶望は、この2ヶ月間、いつも冷たい塊となって喉の奥にある。息をするとひゅーひゅーと鳴る。立場は完璧に私が優位で、全ては私の手にゆだねられている。どうしようが私の自由。でもそれってあんまりじゃない?
静かに、私は、別れを切り出す。動揺する彼の顔。傷つけたくない。
不思議なこと。まずはじめに彼が裏切った。私は許した。また裏切った。再び許した。そして三度目。ついに、私は許せない。裏切られたのは私で、かわいそうなのも私なのに、なぜ、去るという厳しい決断を私がしなくてはならないのだろう。その決断の宣告に、なぜ私がこんなに傷つかなくてはならないのだろう?
相変わらず、世界は身勝手な人間を中心にできていると思う。私は「また迎えに来て」と言う。それは本心だ。それでも一緒にこれからの人生を歩む夢はとっくの昔に本当の夢になり果てていたことを知る。言うなれば織り姫と彦星の心情。かくして、私はそうやって一年に一度だけ触れあう男のリストを増やすことになる。
誰もいない部屋で日曜の遅い午後に目覚める自分の姿を想像して、おののく。耐えられるだろうか?と思う。
静かな、静かな午後に。かつて、私は星の光がアスファルトに突き刺さる音を聞くことができるほど、静寂の中にいた。今は、そんな聴力なんて欲しくない。
だけど、まあ仕方ない、とも思う。別に誰かと愛し合わなければならないという決まりはない。
明日のランチのためのパンを焼く。ハンバーガーのためのパン。少しグラハム粉をまぜて風味をつける。焼く前にアクセントのゴマをふる。愛らしく膨らんだ発酵生地をオーブンにいれると、やがてふくよかな香りとともにこんがりと焼き色がついてきて、それは、それは健康そうなパンに焼き上がる。とても良い香り。
大丈夫。私は、うまくパンを焼くことができる。私は、それを美味しく食べることができる。大丈夫。大丈夫。