九つの曖昧

Chartreuse2007-10-16

唐突に、というかあらかた予想通りにひとつの恋が終わって、金曜日の予定が空いちゃったな、と思った2秒後に、2年ぶりくらいの美少年から着信があり、金曜日の予定が埋まった。彼が4日も先の約束をするなんではじめてで、月日というのは人を大人にするものだ、と思う。尤もその約束は、私一人に中てられたものではなくて、彼が世間で認められる第一歩となるだろう、あるパーティーの招待だった。


美少年と言ってもしばらく逢わない間に26歳になっている。26歳というのは私は男がその先どういう方向性で行くかを決定する岐路だと個人的に思っているのだが、彼のあの鳶色の瞳や柔らかい髪の毛やしなやかで美しい骨のあり方は、永久に変わらないだろう。彼の魅力が若さ故ではなかったことは当時から知っている。だから皆、彼に魅了された。


別れと再会がほぼ同時にやってきたので私はやや混乱して、Macの画面に映し出されたその人からの最期の言葉もろくに読まずに消去してしまったのだが、たしかそれは、「生きてるとは不思議なことだ」のような言葉で、その人らしからぬ陳腐な台詞ではあるけれど、いかに言葉で飾り立てようと最終的には私たちの人生は笑っちゃうほどばかばかしくて、生まれたときから偶然の重なりで出来ている一生は、その人の身の上に起こったことがたまたま幸運だったか、不幸だったかで決まるのだと、改めて知る。


お風呂からあがって、ぼんやりと爪の手入れをしながら、触れたくない心の核に近づいていくのがわかる。もう長い間、気づいていながら忘れたふりをしていた、上手く乗り切ったつもりでいた、あの想い。
結局、私の残りの人生は、来世では君と一緒になる、というあの人の言葉を信じてただ黙々と時間を潰すだけだ。そのひたすら退屈な長い時間で、いつの日か彼と再び出逢えることを夢みる傍らで、小さな恋をいくつかし、或いは家庭を持って、子供を産み育てるのだろう。
彼と巡り会えるなら今すぐ命を絶ってもいいけれど、彼がこの世にいる限り、次の世界では出逢えない。ならば私はせめて、この地上で同じ時を過ごし、同じ空気を吸って生きるだけ。
どんなにあがいても、逃れられない運命として、受け入れることにしよう。深呼吸をして。



だけど私は思わず、そのまま膝を抱いてうずくまってしまう。体が痛い。痛い。痛い。



あらゆる想い出が、押し寄せてくる。あの人の泊まっていた新宿の外れのホテルからの帰り道、驟雨が上がって顔を出した太陽が道路に溢れた水滴を一斉に天に還そうと辺りを霞ませて世界を輝かせたこと、別れ際におでこを肩につけるふりをしてオレンジ色の口紅を思いっきり白のシャツの胸元に付けたこと、初秋のオープンカフェで後から後から花芽のような何か紫色のものが降ってきて、私はそれが世界を埋めてしまえばいいのに、と願ったこと。
私は死ぬのじゃないか、と思う。こんなに、想い出に体が支配されて。



寝息をたてる同居人の、無理矢理その腕の中に滑り込んで、体温をしっかりと感じる。痛みが消えていく。やっぱり。
愛している。このぬくもりに、救われる。安堵する。
ここ以外に私の行く場所はないだろう。いつまでも、私を愛していて。と勝手なことを思う。でもどこかで私だって身勝手でもいいはずだ。どうか、私を許してね。


写真はなんの関係もない、パークサイドダイナーでのローストチキンのランチ。おいしかった。