タイミングの合わない二人

今日は起きたら10時だった。一応会社が始まるのは10時だが、別に焦らず、のんびりとネスプレッソを飲んで、桃を食べて優雅に会社にでかけた。会社についたら12時だ。普通におはようございます、と言って仕事を始めたが、まあ文句があるやつはかかってくるがいい。と、やけに好戦的になっていたのだけど、実際は誰からも文句も言われず、非常に和やかに仕事をした。良い職場だ。
帰宅がちょうど同居人と一緒になって、途中から同居人の車に拾って貰い一緒にかえって、ご飯を作るのもめんどうだから近所の焼き肉屋に行った。行きつけの焼き肉屋。いつもの、上カルビ、壷付けカルビ、厚切り上タン塩、特選ホルモンミックス、ユッケさし、キムチ盛り合わせを頼む。それにビール。ここはアサヒだ。ヱビスだったら言うことがないが、焼き肉には案外アサヒもいいものかもしれない。そしていつものように、秋の行楽はどこに連れて行ってくれるのだとか、私の誕生日には何をくれるつもりなのだとか、来年はカナダにスキーに行きたいだとか、紅海でダイビングしてジンベイに逢いたいだとか、とりとめもない私のおしゃべりを、聴くともつかない感じで肉を焼いていた同居人は、ふいに、「でもその前に、しゃるの実家に行かなきゃ」と言った。
ああ。
こういう決定的瞬間を知っている。全く、タイミングが合わない二人。
私はもう、彼と今すぐに籍を入れる気をなくしてしまった。およそ1年前、私の両親に挨拶しにくるはずだった3週間前に彼が断って依頼、私は数ヶ月かけてその失望を克服したのだ。怒って、苛立って、泣いて、許して、協力して、理解して、乗り越えた山なのだ。
私が苦労して手に入れたそういう余裕や、私が結婚やこれから築く家庭に意気込まなくなった分だけ、彼には負担が減り、結婚への自信がついたのだろう。皮肉なこと。本当に皮肉なこと。

私はどうしたいか?
このままでいたい。今の生活のままで、自由で、気ままで、愛し合って、責任を逃れていきたい。
子供は私の欲しいタイミングで作りたい。それは誰の子供でもいい。もちろん、同居人の子供でもいいけれど、再び才能豊かな人に出逢って幸運にも寝るチャンスに恵まれたら、私はその人の子供が欲しい、と願うかもしれない。そして、その子供を同居人と育てるのだ。籍は入れなくて言い。今更、どうして世間のしきたりに従う必要がある?そしてそういう結論に至らせたのは、他でもない彼なのだ。
屈折してる?わからない。どこかに、復讐の心が潜んでる?誰に対して?
既に、私たちの家には、別の女との子供が存在している。私は彼女のことを、自分の命に代えてまでは愛していないけど、今はそれなりの愛情と親しみを持って接している。たまには宿題を教え、一緒に遊び、お話をする。これは私たちの妥協点。上々の着地点だと思っている。この心の変遷は、私だけが辿らなくてはならない行程なのかしら。
そこで、私はなんて惨めな女なんだと思う。自分だけが、割に合わない苦労をしている、と思いこんでいる。私の苦労は愛している人も味わうべきだと思っている。強いシンパシーを要求している。どこまで寂しがりやなんだろう。

少し前なら、ここでぼろぼろと涙をこぼして、不思議な、女の子特有の理解しがたい涙を流して、彼を驚かせて、繊細な心が存在することをアピールして、見えない絆を強めることを願った。

だけど今は、涙もでない。
最初に恋らしき恋が始まってから10年経った。今までに幾度となく繰り返してきたタイミングの問題。
いつも終わってからあのときのタイミングの悪さが恋の終わりにつながったのだと、後で後悔した。
でも今はそのタイミングが目の前にある。
そして私は、扱いあぐねている。
とりあえず、宙に浮かせてみる。

「両親はしょっちゅう海外に行ってていないから、次の春辺りかな」。


帰宅して、一人リビングで余市をロックで飲みながら、このタイミングの合わない私たちの、不幸な結末を思って、それでも愛している、不器用で無神経な彼を愛おしく思い、このタイミングを逃したら次にタイミングが合うのは本当に、よぼよぼになってからで、私たちはもしかしたら最後の最後に、私たちの関係に反対するすべての人々がこの世から去って、誰からも文句を言われなくなってからついに、私は彼の車椅子をおしながら、もしかしたら逆かもしれないのだけど、区役所に行って、婚姻届けというものに判を押して、これこそが私のずっと、ずっと望んでいたものだと心底満足して、それまで過ごした数十年の心の空白を埋めるのかもしれない。
そこまで思ってようやく、涙が出てきた。そういえば、涙を流すのって本当に久しぶりだこと。