人をつなぎ止めるものは

暑いしじゃがいも上司は最悪だし、iBookからMacBookに変えて古いパソコンからデータを移動したらiphotoに封印していた昔の写真がうわーっとなだれ込んでいてうっかりかつての恋人との楽しいショットなんかを見てしまったらそろそろまた旅にも出たくなったので会社を辞めようかなーと思ってたところ、3ヶ月ぶりに社長と話す機会があって、特に私は何も言っていないんだけど社長が今いくらもらっているかと訊くので、今の金額を申し上げると、年俸で120万円アップしてくれた。
わお。120万円だ。かと言って、上がった後の金額がべらぼうに良いかというとそういうわけでは全くなく、今までがファストフードのバイト並の給料だっただけで適正な価格に修正されたわけです。とはいえ、おしなべて薄給で働いてきた私としては並の給料がもらえるというのは非常にうれしい話です。単純に120万円アップするのはうれしい。ヴィトンのバッグだって買えるようになるわけです。欲しくないけど。だからもうちょっと会社にとどまることにしました。

今日はこの後来週で辞める同僚(私とほぼ同時期入社だから半年弱ですな)と飲みに行かなくてはならず非常に気が重い。私は非常に人の好き嫌いの激しい女で、しかしながら外面がいいし、気が強い割には気が小さいので、いやな誘いを断れません。彼女から辞めることにした、というメールが来たときに、別に全然哀しくなかったのだけで「まじでー!でもその方がぺこりちゃん(仮名)のためには良いかもしれない。寂しくなるけどがんばってね」とか、別に心にもないと言うほどではないけれど当たり障りのない内容のメールを返信したら、なんだか最後だし飲みに行くかということになってしまったのだ。好きな人とは朝まで飲みたいし本当に朝まで飲むのだが(実際先週はかなり酔っぱらって久しぶりに体中痣だらけです。打撲による鬱血がなおらず、ヒルに血を吸わせるしか方法はないという友人の判断なのだけど本当だろうか)、彼女とは本当に飲みたくない。だってどうせじゃがいも上司の悪口しか言わないんだもん。どうして顔を見ていないときまでその人のことを想い出して熱く語らなくちゃならないのだろう。せっかくおいしいお酒を飲んでるのに。せっかく飲むのなら、一人で良いバーに行き、きりりと冷えたバラライカを飲みながら、過去の恋に想いを馳せる方がいい。
というと、かつての恋人は、だから君はだめなんだ、というだろう。「せっかく」なんて貧乏っぽい。
つまらない本をどれだけ読むかが重要だ、と彼は言っていたけれど、つまらない飲みを重ねることにも何か意味はあるのだろうか。ああ、ほらまた意味を見つけようとする。どうせ家に帰っても、元恋人といちゃつくだけじゃん。あ!やっぱりそっちの方がいいじゃん!
だけど、私は最近妙に明るくて、時折激しく鬱になる。セントジョーンズワートでハツラツ生きようとDHCで注文したけれど、まだこない。夜中にごそごそ起きて、CDの棚をぼんやりと見ていたら、サインペンでアルファベットの描かれたカラフルなCD-ROMがある。それは、私が今まででもらった贈り物で、もっとも重要なものかもしれない。彼が選んだジャズの名曲がオムニバスで入っている。セロニアス・モンクソニー・ロリンズソニー・クラークすら聞き分けられない私のために作ってくれた全4枚のアルバムで、おそらく私はそれぞれを1000回は聞いただろう。今では、彼よりもリー・モーガンの方が親密かもしれない。それでも、そのCD-ROMに書かれた雑な文字を見ていると、無性に懐かしくなって、だからと言って彼に会いたいとは思わないけれど、隣の部屋で寝息をたてる元恋人の布団に潜り込みたくなる。人のつながりというのはなんてばらばらなんだろう。ネットにアクセスすれば誰か友達が起きてるかもしれない。それでMacを起動してのぞいてみるけれど、とたんに嫌気がさして、棚から抜いてきたCD-ROMをスロットに入れると自動的にiTunesが立ち上がってCDDBにアクセスされるけど、もちろんこのCDの情報は世界のどこにもない。それは、なぜか私をとても安心させて、そう、これは世界で唯一の、CDなのです。