42歳のおじさんのために家庭裁判所や区役所などを行き来して、しかも本人は全くやる気がなくて、私はいったい何をやってるんだろう、と思いながら生きる昨今。体調が悪いのはおそらくこのおじさんのせいだと思う。だけど、おそらく私たちはもうだめだけど、ここでほったらかす訳にもいかない。世の中には、器用な人、不器用な人、様々いるんだ。私は私のできないことを、様々に補ってもらった。ここで、どんなに私が惨めになろうとも、疲弊してくたくたになったとしても、私は決着を、ここでつけることこそが、この人の元を去るきっかけになると思う。

だけど、私の胃はいつも痛い。電車の中で、あの人に言いたい言葉が後から後からでてきて、それに支配される私が嫌だ。真っ黒だ。私は。

今日は、有名な写真家と投資家にインタビューに行った。投資家の方はどうでもいいけれど、写真家との対談はすばらしいものだった。こういうとき私はいつもこの仕事で良かったなあ、と思う。再三言うが仕事なんて大嫌いだけど、せめてこの仕事で良かった。結局オフレコの話ばかりもりあがったのだけど(いやちゃんと仕事もしましたよ)、彼には、「男の引き際」を学んだ。追わないで、と言った彼女を断腸の思いで追わなかったと。はっきり言ってだんぜん彼の方が身勝手だったわけだし、そこは追えよ、と私は思うわけだけれど、そこを追わないのが男だと。それでも彼は今でも、1975年に最後に来た彼女の手紙を大切に、持っているのだ。
その後投資家のインタビュー。私は金融関係に従事する人全般に興味がない。試しに机の上に1円玉から1万円札を並べてみたのだけどどれも全く魅力的じゃない。せめてふわふわのかわいい羽とかだったらもうちょっと興味が持てたかもしれない。でもデザイン的にもあんまし好きになれないし、握っていると手がくさくなるからあんまし好きじゃない。これを中心に仕事をしているなんてすごいな。どこが好きなんだろう?これの。もちろん、私もこれを使ってすることは大好きなんだけど、金融業界で私がインタビューに行くレベルの人となるとみんなたいそう忙しくて、朝から夜まで(またはその次の朝まで)仕事をして週末も仕事をして、お金なんか使う暇がなさそう。だから純粋にお金が好きなんだろうね。まあ世の中には寄生虫が好きな人もいるわけだし、まあそれはそれとして納得するとして、今日インタビューに行った人は「儲ける投資術」みたいなのを書いていたのだけど、結局それはどっかのスタイリストが書くメイク本とかダイエット本とかと同じなんだと思った。この本を読んで、みんな金持ちになれるわけじゃないし、みんな美人になれる訳じゃない。だけど、知らないよりは知ってた方がいいかもね、やらないよりはやった方がいいかもねって感じ。そうわかったとたん、私はとたんに投資術とかもそう嫌いじゃなくなったよ。知ってても悪くないかも。

て感じで、私は元気になったり病気になったりだけど、じゃがいも上司みたいに元気な状態が永続的に続くってのも鬱陶しいからちょうどいいと思う。私はふつうの人間なんだと思う。「何をがんばっているのだろう?」と思わなくもない。この私の努力は、なんとなく復讐に似ている。なんの?自分が純粋に愛した証としての?それで、私は亡き人を貶めるつもりなのか。不幸な女を演じることに麻薬的な快感を感じていなくもない。ここを出て行く自分への正当な理由もほしがっている。
沈黙競争を貝としても勝ちそうな元恋人を見習って、私もちょっと黙っているのがいいかもしれない。でも、黙ったら、何か解決するのだろうか。しゃべったら、何か解決するのだろうか。きっとどっちでも一緒なんだろう。適度に喋って適度に黙ること。ほんとうに、難しいこと。