ダヴィンチ・コード

昨日はレイトショーでダヴィンチ・コードを見に行きました。
映画はまあまあおもしろかった。トム・ハンクスの顔の長さに驚きが隠せない。
で、終わったのは12時過ぎ。屋外のたばこスポットでたばこを吸う恋人に向かって先ほどの映画についての感想を一生懸命語っていると、突如背後から私の首を絞めようとする老婆が!
それはダヴィンチ・コードに出てくる修道会の使徒だか守護者だかという人殺しと重なって、私は思わず「ぎゃあああああ」と大声を上げて後ずさった。

実際は老婆は、おそらく浮浪者でたばこの火を恋人に借りに来た訳だったのだけど、彼女は歯がないのか人魂の飛ぶようなか細い声で、言葉にならないような言葉をふにゃふにゃと喋っており、いきなり私の斜め後ろに現れたときに彼女が口にくわえていた煙草を挟む手がちょうど私の首あたりにあり、首を絞めるように見えたのだ。

恐怖でぎゃああという私は、叫んだとたんにそれが使徒でも殺人鬼でもないことを知っているわけだけど、そして視界の片隅には大声を上げる私にあっけにとられる恋人(おそらく私と向かい合っていた恋人は彼女が近づいているのを見ていたのだろう)の顔があり、私が見当違いな悲鳴を上げているのはすでに知っている。だけど声のボリューム機能は壊れて、膝の震えは止まらない。そのサイレンのような私の奇声がようやく収まると、恥ずかしいし申し訳ないと思うし、私は「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と恋人の肩にしがみつきながらひたすら謝った。老婆は恋人に火をもらい、困惑したようなほほえみを浮かべて去っていった。
ああ。こわかったよ。今までの人生で、こんなに理不尽な恐怖に遭遇したことはない。そしてそういうとき私は、思わずどうしようもない悲鳴をあげることがわかった。
皆さんもそういう恐怖を体験してみると、結構新たな発見があると思います。