どうやら私は、あの人に恋をしているらしい

先日通勤途中に絲山秋子の「袋小路の男」を読んだため、私はちょっと変になってしまった。あまりにもシンクロして、細胞に深く深く食い込んでしまったため、私は壊れてしまうかと思った。こういう小説に出会えることは幸運です。それはもう相性としかいいようがなくて、もっとすばらしい小説はあると思うし、好きな小説もたくさんある。でもここまでずどんとやられるのは、そうない。
以前ならこういう小説に出会った日は、会社に行かなかった。体調不良とか祖母が死んだとか恐竜に踏まれたとか適当ないいわけをつくった。
こんなにもすばらしい小説を読んだ後なのに、それでも今はもう会社を休めない私になってしまったなんて、なんて哀しいんだろう。

それでも代打がいなければ、本当に代打がいないなんてことはあり得ないんだけど、人はがんばれるもので、結果として私はその日会社に行ってとても良かった。若き芸術家にインタビューするのはとても楽しいもので、本当に様々な刺激が得られる。驚くほど、成功している人はみんないい人で楽しくて、なるほど成功するにはこういうプラスのパワーが必要なんだなと思う。

かつて、才能に憧れた。それは数学の才能であったり音楽の才能であったり芸術の才能であったり、または圧倒的な美貌であったりした。彼らと私が触れた日は、まだ彼らが志したばかりの頃。小さな芽。その波動に一緒に乗っかって、ジェットコースターのような時間を過ごした。

今でも彼らの活躍はなんとなく、知っている。徐々に芽は大きくなっていく。
私は今でも、いつかどこかで彼らと出会えるかもしれないという期待を常に抱いている。
だからこそ、私はこの仕事をしているのかもしれない。
どんなすばらしい芸術だって、伝える人がいなければ伝わらないから。

だけど、所詮パイプ役でしかない私は、どこかで成功して初めて、伝える資格が与えられるだけだ。
かつて自由に、その才能を愛して、たぶん愛された私はなんて幸福だったのだろう。

今私が仕事で会えるのは、そういう才能をもちかつ成功した人。
才能の芽に出会う機会はなくなってしまった。
私は年をとったし、立場も変わった。かつてのように深夜の街を徘徊しなくなった。
19歳から25歳までの私。彼らに出会った私は、なんて、贅沢だったのだろうと思う。なんて、恵まれていたのだろうと思う。

ああ。歳をとったなあ私。まだまだ体力も精神も若いつもりだったけど、なるほど、こういうときに自分の年齢を感じるのだね。全く。