彼岸

渋谷駅でバスに乗り換え、麻布で降りて寺に向かった。紫外線カット効果のある窓から空を見上げると、絶望的なぐらい空が青い。だけど今日は一歩外へでると、息が詰まりそうなくらい激しい風。今まで生きてきて、こんなに激しい風は初めてかもしれない。

麻布の寺には、その人の亡き妻が眠っている。私たちは、菜の花や淡いピンクのバラがまとめられた春らしい、花束を二つ花屋で買った。お墓参りなんて久しぶりだ。手渡された線香は私の記憶にあるものよりも太くて、匂いも違う。これが違う家の匂いか。その人は相変わらず段取りよく水をあげて花を供えた。そして線香をあげて手を合わせる。風。

風の音。
記憶にある墓には蝉の声。頭上の飛行機の音。気怠い身体。
刺すような悲しみの色はない。


隣の人の心の中は知らない。
何を、考えているのでしょうか。


寺の砂利道を歩きながら、思う。
もしも、この人と結婚することになっても、ここの墓に入るのはごめんだ。
3人一緒なんて。


後はどうぞ二人で仲良く。


私は、口を一文字に結んで、そう言いそうだ。


私は、甘ったるい、故郷の墓に戻ります。



いやだ。
それでもそれは寂しいから、彼の亡き妻が実家と分骨をしたように、私も彼の骨を少しだけもらおう。それで、故郷の墓に、一緒にいれてもらおう。

そう考えて、自分の遺骸には一切興味がないと言い張っていた(臓器を誰かにとられようが、冷たい海の底に沈んでいようがかまわないと思っていた)私が、その骨の在処にこんなに固執することに笑った。
だって。



死者は強い。
死者がどうあるかで、私は私の処遇が決まる。
私は、常に死者に遠慮している。負い目を感じている。嫉妬している。だけど優越感を抱いている。
つまり、バランスをとっているのかもしれない。

風はいよいよ強くなって、新宿で食器を見た後すぐに家に逃げ帰った。
夕暮れ前。お昼ご飯を食べ損ねたので、ビールを飲みながらバッテラといなり寿司を食べる。ソファに寝ころんで、「男と女」を見る。
アヌーク・エーメは恋人とセックスをしながら、亡き夫を想い出す。
そんなあ。
困って私はそんなコメントをほの暗くなった室内に放つけど、
後ろから私を抱きしめる恋人は「女はみんな、こうなんだ。わかった」と
いたずらっぽく言う。


夜ご飯はチキングリルとポルチーニ茸のスパゲッティ。ポルチーニ茸はお湯で戻して、ホワイトソースに加える。フライパンを熱してチキンをグリルする。
恋人は何かを焼いている姿が一番、しっくりくる。
焼くのが好きでしょう?
そう聞くと、わからない、と答えるけど、好きじゃなければそんなに上手くチキンを焼くことはできないだろう。




なんて楽なのだろう、と思う。
嫉妬をするのが実に楽で、その嫉妬が私を傷つけない。やっぱり死者を操るのは、生きている人間か。
どっちでもいいけれど、それでも生きていても死んでいても、こうして果てしなく影響を与えるのだね人は。
分かり切っていたけれど。


最高においしいパスタとチキンを食べながら、私は今後この人の作った食べ物以外は口にしない、となぜか思う。そんな犬のような忠誠心をなぜか、唐突に抱いたりする。
どんな愛情だろう?どこまで広がっていくのだろう?
こんな狂気を抱く私を彼が知ったら、どう思うだろう?
きっと彼のことだから、ちょっと驚いて、受け入れてくれるのだろう。
そんなしゃるも好きだよと。
どんな、私が、好きなんでしょうか一体。