真実の一瞬の香り

本日は、フランス映画祭監督および俳優へのインタビュー。2時から6時まで4時間ぶっ通しで4人に入れ替わり立ち替わりでインタビューという強行スケジュール。今日は私はインタビューの勉強がしたいと思い、大先輩の仕事に無理矢理くっついていって「助手」だったのだけど、すばらしく勉強になりました。まず、大先輩は無駄な質問を一切しない。プロフィールに書いてあることとか、ほかの誌面で見たようなことは絶対に質問せず、簡潔でありながら独自の観点で質問をする。これは、すごいことです。時間配分やカメラマンのことを気にしながらこんな仕事をできる人は滅多にいない。その仕事ぶりにほれぼれしてしまいました。幸福です。こんな方の仕事ぶりを拝見できるのは。
そして昨日まで誰にインタビューできるかもわからないどたばた状態だったのですが、ふたをあけてみると、なんとあの、クロード・ルルーシュさまではありませぬか!きゃあきゃあ!!愛について非常に重要な示唆をいただきました。おもわずほっとため息がでました。もちろん私も本日のインタビューをいずれどこかの誌面に掲載しますので、どうぞお楽しみに。


こういう仕事は実は、非常に狭い世界。転職をしてから1ヶ月ですでに二人、恋人の知り合いに会う。どれくらいの知り合いかというと、同じ教育機関で学び、同じ媒体で仕事をしたことがあるくらい。お互い取り立てて仲良くはないがもちろん悪くもなく、必要な事柄や他愛もない事柄を何言か交わすくらいの知り合い。どういうわけかすべて42歳で、私はその職種の1963年生まれと、何か非常に深い縁があるのじゃないかと思う。そして私はそれらの人々に何か、とても好ましい感情を抱くので、私はおそらくその職種の1963年生まれを愛しがちなのだろう。
そして、その職種の1963年生まれ同士が一緒に仕事をする確率よりも、1978年生まれの編集の私がその職種の人と密接に仕事をすることが多いわけで、私はおそらくその職種の1963年生まれの人同士よりも、その職種の1963年生まれにきっと詳しいわけだ。
そのようなことを、帰宅して、私の1963年生まれに話した。微熱と鼻ぐすの1963年生まれはさもどうでもよさげに、最近私のお気に入りのサラダほうれん草に、かりかりに炒めたベーコンを散らした。


クロード・ルルーシュ監督は言っていた。言葉は愛を妨げることがある。


ふいにそれを思い出して、サラダのためのゆで卵の皮をむきながら言葉を消し去ると、雨音がキッチンを満たす。それと、ベーコンの脂がほうれん草に染み渡る音。ビールの缶の中で気泡がはじける音。


確かに。


言葉はいらない。



ときもあるのね。


躍起になって言葉を紡いでいた。だけど、しばらくは沈黙しよう。
そうすれば聞こえる音も、あるだろう。