やっちまったやっちまった。
火曜日は週も始まったばかりだというのに恋人が同僚と飲んでいるというので合流。やたら塩気の強い料理ばかりだす大衆酒場で、ビールをひたすら飲む。私が合流したのは9時半頃で、夕方中途半端にオークラの立食パーティーで食べていた私は(ローストビーフめちゃくちゃうまかったよ。さすがオークラ。立って食べなきゃいけないのが無念)、塩がきらきら光る枝豆を食べただけ。なんだかそのまま立ち飲みに行き、帰れなくなってしまいテツカラ。あーあ。
その会にいた人々はみんな私よりも恋人との付き合いが長く、かつての奥さんのことも知っていた。直接は知らない人もいたらしいけど、少なくともお葬式には行っていて、いろいろと、私が普段聞けない話を聞けて楽しかった。つらかった。

一人の男が言う。「しゃるちゃんのことを、奥さんとは全く違う存在として愛せるのか」。
そりゃあそうだろ、と私は思うけど、それについては私は思考を閉ざす。仮に重なったとしても、だから、どうしたらいいのだろう?人が心で何を思うおうが自由だ。今私をこの瞬間一番大切にしてくれれば。だけど、私は、私を愛してくれなきゃ困る。だから考えない。
恋人は言う。「そりゃあ、当然だよ」。
その言葉の裏にどんな想いがあるか知らないけど、だけどその言葉を私は信じる。信じるしかない。

ゼロか100かなんて、そんなの、あり得ない。彼のつらさや苦しみを受け入れたいと想いながら、のぞきこむと怖くなって引き返す。哀しくなって恋人の胸で泣きじゃくる。途方に暮れる恋人。だけど、それでいいんじゃないかな。人の心は非常に曖昧で、私たちは常にどちらかに、傾いたり戻ったり。

翌日は12時からシャーリーズ・セロンの記者会見があり、吐き気をこらえてパークハイアットに向かう。なんとか終えて、その後銀座でもう一件取材。あまりの顔色の悪さを見かねた上司が直帰を許してくれる。すみません。二日酔いなんです。とはもちろん言わないけど。
マンションにたどり着いたとたんベッドに倒れ込み、そのまま眠る。チャイムで目覚めると、注文していたエビスビールが3ケース到着したみたいで、うんざりだ。もう9時をすぎるのに恋人からまだ連絡がなく、さすがに42歳の体だし心配。ようやく今から帰ると連絡があって、ごはんだけ炊いて待っていた。憔悴しきった感じの恋人が帰ってきて、私の頭を撫でる。頭を撫でられるのは子供の頃からひどく嫌いだったけど、彼に撫でられるのは心地よいと思う。
24時間ぶりの食事である納豆ごはんはしみじみとおいしくて、二人して納豆に賞賛を送る。二人して朝まで飲んでひどくきつい一日を過ごしてようやく終えた一日の最後。ばかばかしいけど、こういうのを絆というのかもしれない、と思う。こういうのが連なって、いつかは、私との絆が超える日を、願う。