銀色のうさぎの耳を握ったら、粉砂糖が降ってきました

Chartreuse2005-12-20

広島から取り寄せた牡蠣。すごい。うまいです。


引っ越してきたといっても諸処の事情により、まだ住民票を移動していない。でも、どうしても図書館のカードが作りたい。ということで週末はクレジットカードの請求書と免許証を持って、近くの図書館に行きました。近くと言ってもチャリで13分くらい。前回のアパートは一番近い図書館が徒歩5分以内でありさらに徒歩圏内に2つ以上の図書館があり、なおかつ5分の道のりが美しくまた借りたばかりの本を持ち帰る5分の間にいてもたってもいられなくなってついつい腰掛けて本を広げるためのベンチの設置された公園があること、という条件で選んだのですが(厳しい条件だったあ)、今回は恋人宅に転がり込んでるんで、こんな立地に成らざるを得ません。この不法居住者めとか言われて図書カードをつくってくれないばかりか区民税課とかにまわされてダブルで区民税を徴収されるんじゃないかとかはらはらしながらカウンターに免許証とクレジットカードの請求書(現住所確認のため)をさしだしたのですが、難なく作ってくれました。ほ。
素晴らしいのはこの図書館のシステム。本は10冊まで借りれて、CDは5冊まで。しかも3週間も借りられるの。前回の区では5冊と3枚、2週間だった。これならちょっと遠くても一気にかりといて、2週間に1回くらいいけばいーね。
返却期限は来年だし、年末年始はこれらの本を読みながらゆっくりすごそう。
借りてきたモノ。
「歴史和解の旅−対立の過去から共生の未来へ−」船橋洋一
「絶望 断念 福音 映画−「社会」から「世界」への架け橋」宮台真司
「ナラ・レポート」津島佑子
「奇跡も語る者がいなければ」ジョン・マグレガー著
「ラス・マンチャス通信」平山瑞穂
ナボコフ=ウィルソン往復書簡集−1940−1971− 」ウラジーミル・ナボコフ著 エドマンド・ウィルソン
「カーテン−7部構成の小説論−」ミラン・クンデラ
「国家とはなにか」 萱野稔人
岸朝子のおいしいお取寄せ」 岸朝子

「奇跡も語る者がいなければ」はid:ishmaelさんがお勧めしてた本。最近は自分で本を選ぶのが億劫になってしまってなにか読みたいナーと思ったらとりあえずishmaelさんのお勧めしてたやつを読んじゃう。たいてい間違いなくおもしろいので。
で、ちょっとぱらぱらめくってみて、わあ、と思った。蜘蛛の巣みたいな気がします、って変な感想。

「絶望 断念 福音 映画−「社会」から「世界」への架け橋」はお風呂の中で読んでみたのだけど、えーっと、「キャスト・アウェイ」とか「ザ・ビーチ」とかもみてみてもいいかなーと思った。恋人とその娘のいる傍らで「そして僕は恋をする」とか「トリコロール」三部作を見る気にはならないし、せいぜい一緒に見れるのは「ハウル」ぐらいで(絶対にディズニー作品はみないよ私は。そういえば最近のアニメは3Gとかいって、なんだか先週は白鳥の湖を舞う子鹿のバンビみたいなアニメをやっていて、リアルに子鹿が舞っていて怖かったよう)、まあそんでトム・ハンクスくらいのお茶の間ヒーローならば、BGD(バックグラウンドDVD)として流しておいてもいいかなー。いや、余計腹立っちゃうのかな。

それで土曜日は私の友人二人を家(居候宅)に招いた。恋人は相変わらず気の利く人で、私たちが広島直送の牡蠣を食べながら、シャンパンだの赤ワイン(「ドメーヌ・ピエール・コルニュ・カミュ・サヴィニー・レ・ボーヌ 2002」最高。ピノ・ノワール100%なんですが、柔らかく滑らかで匂やか。幸福な赤ワインです)とか余市限定シングルモルト15年を飲んでいる間に、砂肝のコンフィとか白ワインで煮こんだポテトグラタンとかパエリヤとか作ってくれる。ああ、美味しいなあ!で、次々に食器洗浄機に入れて片づけてくれる。ああ、便利だなあ!昼1時から夜9時までだらだらとおしゃべりして、お開き。ああ、楽しかったなあ!
だけど、友達を駅まで送って帰る途中、刺すような星空の下、酔っぱらって少し軋む脳で、自転車のハンドルをどれくらい強く握っているかわからなくなるほど冷たい指先で、いきなり、二度とあのマンションに帰りたくない、と思う。私もこのまま電車に乗って、ひっそりと静まりかえったアパートに帰りたい。その思いは強烈で、何か憎しみに似たような感覚で、歯を食いしばると涙がこぼれる。やれやれ。このところの私は全く情緒不安定で、涙を流していない時間の方が少ないんじゃないかと、思う。本屋で何も考えずに彷徨っていても、ふと、涙が頬を伝っている。本当に、私、幸せなのかねー?もしかしたらすっごい不幸せなんじゃ?と思ってでも過去の恋のことを思い返してみると、贅沢な悩みなような気もして(過去の恋人達はちょっと人間じゃなかったから)、ちょっと笑って深呼吸をして、夜食にと、スーパーで恋人と私の「にぎり鮨」を2パック買って、さらに子供のためにセブンイレブンに寄って鮭握りおむすびを買おう、と自転車をセブンイレブンに止めた瞬間、猛スピードで曲がってきてハンドルを切り損なった自転車が私の自転車のカゴに直撃して、私と私の自転車を突き倒し、にぎり鮨が空中を舞って駐車場に飛び散った。それはあっという間で、突っ込んできた自転車は罵りながらそのまま走り去り、私はしばらく呆然として、その後のろのろと起きあがって自転車を立て直し、駐車場に飛び散ったにぎり鮨をかき集めて、セブンイレブンで、鮭おにぎりを買って、もう一度さっきのスーパーに戻り、にぎり鮨を一パックだけ買って、家に戻る。マンションでは私の友達が来ている間中大はしゃぎしていた子供がテーブルで塗り絵をしていた。室内用のバドミントンとか知恵の輪とか、ジェニーとかビニールテープで作ったボンボンが散らばる。相変わらずテレビからはミッキーが意味のないことを裏声で喋っている。私は、どうして袋が3つなの?と不思議がる恋人に、おにぎりと新しいにぎり鮨の袋を笑いながら「秘密」と手渡して、その目の前でゴミ箱の中にぐしゃぐしゃになったにぎり鮨2パックを捨てる。そして、寝室に閉じこもり、泣く。喉が痛くなるほど、泣く。どうしたの?と恋人がやってきて、話してごらん、と言う。私は、私が我が儘なだけなんじゃない?と言う。


こういうのは、だめだ。


どうにかしないと。
我慢するとか。できないなら、別れるとか。
このままじゃ、自己嫌悪で死んでしまう。こんなにネガティブな私がいたなんて。


だけど、それができたら楽だ。


できないから、泣く。


翌日、恋人に手紙を書く。
謝罪と、私の苦しみについて。


一方的でひどいような気がする。だけど、私だってあの人の言葉が聴きたい。言葉に言葉が返ってこないのは、ひどく辛い。私の言葉は、努力は、どこに消えていくんだろうか。


夜、ベッドで他愛もない話をした後に、その人は私を強く抱きしめる。何も言わない。何も言わないけど、わかる。わかるから、私の目からはまた涙が溢れて、でもそれは、そんなに哀しくなくて、言葉にだって、抱擁にだって、涙にだって、いろいろな種類があるのだろう。


世の中には、言葉で心を、伝えない人だっている。
それは、なんでもよくて、結局、分かり合うために、どういう手段を使おうが、私たちが、分かり合いたいと思ってる限り、私は満たされているんだと思う。そう思う。