トリックオアトリート?

Chartreuse2005-10-31

本日はハロウィーン。私もちょっとだけはしゃいでみます。
27歳だけどね。

金曜日は期せずして恋人と二人してお休みになった。と、いうわけで、ひさしぶりに子供なしの二人の休日。平日の昼下がり、かつてなら一人時間をもてあまし、たっぷり時間をかけてお化粧した後は、銀座にでも行ってショッピングか映画、その後夕暮れまでのどうしようもない時間を喫茶店で本でも読みながらすごして、宵も耽れば仕事が終わった友達と一杯飲む、というのが平日のお休みの定番だったけど、二人なら、普段着デニムとスニーカーと、恋人に借りたちょっと大きめのパーカーでも羽織って近くの新興住宅地の中にあるショッピングモールにサイクリング。花曇りの昼下がり、色づいた木の葉の舞う神社の裏の小道を電動自転車でゆったりと進む恋人の後ろを、7000円の軋むシティサイクルで追う(くそう)。その光景は全体的にとても愛おしくて、このままどこかに吸い込まれて行きそう。だけど私には、かつてない心の余裕があって、これが消えないことを知っている。

決して一人では入らないような、イタリアンと寿司のレストランもチェーン展開しているようなチャイニーズレストランで、餃子と担々麺を昼ご飯に食べる。その後ハーゲンダッツでキャラメルウォルナッツを買ってもらってベンチで食べながら、なんだか、お父さんといるみたいだな、と思う。
いや実際にこんなこと父とはしてないけどね。うちの父はファミレスやファストフードや祭りの屋台をさげすむ人で、決して入ろうとしなかったからさ。

夜は七厘でさんまを焼く。買ってもらった燻製鍋で手羽先の燻製を作ってみる。すごい。毎日がお祭りみたいです。こんなにがんばって毎日なにかしなくてもいいと思うのだけど、どうしたんだろう?一生懸命失われた時間を埋めて行ってるみたいな。その気持ちは私の方がずっと強いみたいで、日曜日、その人とその娘が近所の子供達とハロウィンパーティーを催すというので友達と青山のフレンチでランチにでかける私に、軽く拗ねた表情を見せる恋人に「だって、しょうがないの。イーブンイーブンじゃない」と突拍子もなく突っかかったりする。



その人の娘のことは、単なる同居人だと思うことにした。今の私には、心のどこを探してもその子に特別な感情はない。もちろん憎しみもない。その子は、ま、姑みたいなものかな。新婚には、邪魔だけど、仕方がない。だからといって邪険にするつもりもないし、取り立てて大切にも思わない。まあ、一緒に暮らしてたらそのうち情も芽生えるだろう。幸い仲が悪いわけでもないから、特に問題もないんじゃないかな。

そう。だから。
焦らないで、私。

自分へのいらだちは、攻撃的な方向に向かう。

少し前まで異様に欲していた自分の子供も、今は全く欲しくないと思う。

「だって、私、もともと子供が嫌いなの」

そんな大人げない態度をとって恋人の気を引いたりする気?

恋人は友人とのランチにでかける私がどたばたと、走り回って鞄に化粧品やらポーチやら手帳やら文庫本を詰め込む様子を眺めながら、ぽつりと言う。

「なんだか、娘がでかけるときにおもちゃをじゃらじゃら詰め込んでいるのと同じだな」

だめよそんなこと言ったら。
私を娘と張り合わせる気?



津波の記事が目に付いた。
記事は「ヨーロッパ人の母親と息子二人がホテルのプールで遊んでいた。押し寄せる津波にさらわれた母親は、とっさの判断で次男を引き寄せた。長男は波にさらわれたが、自力で木の枝にしがみついて、親子三人の命が助かった」と言っている。その母親の判断は好意的に解釈されていた。
私には、語られなかったことがあまりにも気になる。
あり得る、残酷な部分について。

眠る前、ベッドで恋人に、私の不可解な気持ちをおそるおそる、話してみる。

恋人はちょっと微笑んで言う。

「たぶん、偶然手を伸ばして、届いたのが次男の方だったんだよ」

その言葉で私は、安堵して、この人の前でなら、私は優しくいられるかもしれない、と思う。そういう可能性が、あると思う。
思わず泣き出した、私を優しく抱きしめながらその人はまだしゃくりあげているのに、穏やかな寝息をたてはじめる。手だけは私の背中を愛撫する。

愛している。

耳元で囁いたら、意識は遠く遠くにあるのに、パブロフの犬のように私を強く抱きしめて、「愛してるよ」と言ってくれる。

それがとても楽しいから、夜中に何度も何度も、いたずらしてみたくなる。

この感情が、なんだかしならないけど、かつての恋みたいなものは未だに光る大きな硬い石のようなものになって遙か頭上を高速で飛んでいるけれど、今、この私を包む世界は、ものすごく温かくて、優しいもの。大切に、大切に、大切に。