壊れるものなど

朝、意識が戻ったときにはすでにその人は私の中にいた。前夜は私が盛り上がったところでその人は疲れ果てて寝ちゃっていて、本当に男の人はトクだと思う。こっちが起きてようが起きてまいが、男の人にはカンケイないけど、男の人が寝ちゃったら、こっちにはなす術がない。あー不公平だあー不公平だ。


約束通りランチタイムはランコムのカウンターで夢のようなひととき。メイクアップアーティストに、メイクをしてもらいます。まずはとってもかわいい男の子が私のメイクを念入りに落としてくれる。あーー、うちでもこのくらいきちんとおとさなきゃだよな。で、きれいに(って間抜けな顔なんだけど)なった途端、交代します、ともうちょっと年配の男性にチェンジ。がっかりだけど、腕はこっちが良いらしい。
今日は目をつけていたジューシールージュ341番と限定色のグロスジューシーチューブ67「ディヴァン・プリソン」に合わせてアイメイクを提案してもらいます。本当はグリーンとかピンクとか淡く優しい色が好みなんだけど、はっきりいって持ち尽くしているので、これ以上買う物はない。と、いうわけで晩秋のブルーメイクに挑戦です。ビロードにブルーを加えたような深く上品なブルーグリーンとパール感たっぷりのシアーブルー。ポイントは目尻のラメの入ったカーキです。これで晩秋ブルーメイクの完成。マスカラとアイライナーはブラウンで少しふんわりと。ほっぺたは淡いオレンジで自然に仕上げます。ああ!かわいいわ。
ということで、合計7点をお買いあげ。ボーナス一括払いとかにしちゃうけど、だからほらボーナスないんだってば私。
しかし、しかしですね。日本全国ランコムマニアの皆様!新製品のマスカラ、エクストレームですが、たしかにつけた瞬間のテクスチャーは最高。伸びもカールもいいです。だけどね、ハードコンタクターの私は、ひとたび繊維が目に入ると後は涙の洪水。ウォータープルーフじゃないからマスカラは止めどなく落ちていきます。とはいえさすがはランコム。落ちるときは繊維がダマになってぼろりと落ちるのでにじんだりはせずティッシュで拭えばきれいにとれるんですが、後から後から落ちてくるマスカラの繊維に、10分程度泣き続け、10分後にはノンメイクみたいな目に戻ります。だから今も右目と左目の大きさが違うの。だから、あんまり泣かない人には、落ちやすいし伸びもカールもいいからお勧めなんだけど、涙もろい人とかコンタクトレンズ使用者にはあんまおすすめしません。やっぱ私はイプノーズウォータープルーフだあ。あーあ、エクストレーム4200円もしたのになあ。



昨夜はアパートに残った粗大ゴミの搬出のため、助っ人をつれて(恋人42歳)前のアパートに向かう。ベッドだの食器棚だのテーブルだの衣装ケースだのをせっせと運び出す。その大量の粗大ゴミを整然と積み上げていく恋人。混沌とした私の不要品に秩序が与えられ、それはなにか美しいオブジェのよう。その光景は、実に愛すべきもののように思えて、後ろから抱きしめて、ちょっと邪魔だよと叱られてみる。

アパートはがらんどう。こんなに広かったっけと六畳一間のぼろアパートをぐるりと見渡す。
無理に感慨をもとうとしなくたって。
こんな狭いぼろアパートよりも、新しいマンションはずっと広くて快適でしょ?うれしくて、たまらないんでしょ?

その後、新宿でなぜか強烈に腹ぺこで、ジンギスカンを食べる。ジンギスカンの食べ方に精通しているその人は、とても手際よく野菜を盛ってラム肉を並べる。食べ頃になれば、合図をくれる。どうして、こんなに日常の生活行為に詳しいのだろう?
粗大ゴミの出し方。
ジンギスカンの焼き方。
自分での引っ越しのやり方。
美しいホットケーキの焼き方。
マンションの階段の効率的な掃除の仕方。
使いやすい棚を設置する方法。

「カフェラテにiPodのイヤフォン浸して壊れちゃったの」とスタバからメールすれば、「もう一個有るからあげる」との返答。その日の夕方の待ち合わせで、きちんと機能するイヤフォンを手渡してくれる。

私は魔法にかかったように安堵して「ポパーウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎 」などという、私の蔵書の中で一番長いタイトルと相成った本などを読む。それに飽きたら、ハロウィンで子供達に配るクッキーの、超ラブリーな型を手に入れたの、とキッチンの換気扇の下で一服するその人の膝の上にまたがって煙草を吸う邪魔をしてみる。

サンマの塩焼きの夕ご飯も、一緒に通う駅までの道のりも、カラオケボックスのフェラも。

そう。久しぶりにカラオケに行ってはしゃいだ。
翌朝目覚めると、首筋にはキスの痕。手首には紫色の痣。そっか。誰といても、私の体には、いつだって痣。
なにかの印のような、痣を眺めて、なーんにもかわらない。
なーんにもかわらないよと思って、痣が、永遠に残ればいいのにと、思ったりして、でもそれじゃあもう私の体は肌色じゃないわねと、奇妙な想像に身震いしたら、通勤電車の中、隣でつり革に掴まる恋人は、「寒い?」と私を引き寄せる。
なーんにも、かわんない、の?

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎