確実に過去にしていく能力

その人の過去を聞くとき、私はその人の亡き妻の命日から年表をつけている。
フィットネスセンターに通い始めたのは、命日から2カ月後。
プレイステーションを買ったのは、命日の5カ月前。


雨の日曜日の午後、あの人とその子供はトイザらスへ出かけたので、久々にアニメの音の消えた部屋は、雨音だけに包まれる。こんなくつろいだ気分はいつ以来だろう?
はじめて、亡き妻の位牌に線香をあげる気分になる。蝋燭を灯して、浅葱色の線香に火を灯す。やがて部屋は伽羅に満たされて、薄暗い部屋の唯一の色彩は私の目に残像となって残る。見上げた彼女の写真の顔は、炎の残像で黒く塗られる。
彼女の立場になんてなってみたりしない。
感謝でも同情でも嫉妬でもなく、ごくプレーンな感情。
この感情は、もしかしたら、あの人が亡き妻に抱くのと、同じ方向に向いているのかもしれない。

夜、うっかりと資料請求をしたらポストが落っこちそうなほど大量の資料を送りつづけるウェディング会社のパンフレットをぱらぱらとめくっていて、ふと目についたブーケの薄いグリーンのバラがとても美しかったので、「ねえねえ、バラのアレルギーとかじゃないよね?かつての恋人はバラアレルギーで、ウェディングブーケは危うくチューリップの可能性があったから」と言う私の言葉に拗ねたふりをする恋人とじゃれ合う。

どんな差異があるというの?我々の間に。
誰しも、戻らないものを、抱えて受け入れて、生きているんでしょう?