stay away

Chartreuse2005-06-12

昨日東横線に乗って横浜に向かっていたらものすごく大きな、大きな虹が架かっていました。生憎デジカメを持っていなかったので旧石器時代に作られたような私の携帯で撮ってみた。それでも、こんなにきれいなのです。


金曜日の昼から実にいろいろなことがあったような気がする。自分がものすごく汚れたような気がするし、相変わらず私は崇高に愛を貫いているようにも錯覚する。音楽の好みなんかも180度変わって、いきなりラルクなんて聴いてしまったりしている。「どうすんねんこんな男なんか」と言う男の腕の中で、煙草の煙を吐き出してその胸に火のついた方を押し当てる自分を想像して、私は煙草は吸えないし、そんな情熱もないことに気が付く。それくらいがちょうどいいのよ、と誰かの煙草の煙で荒れ果てた肺で空気を吐きだして、煙草の代わりに額をその胸に押し当ててみるけど、その頭のなかでは別の人のことを考えている。頭だけではなく、体中で、体の全ての器官で、血液全てで、髪の毛一本残さず、あの人のことを考えている。


世界に望む形の愛はない。
それは充分過ぎるほど分かった。それを受け入れることが、愛し合える鍵ならば、私は永遠に誰とも愛し合えない。情熱はどこに生かしてあげればいいの?
衝撃を受けるのは意外にも自分自身のことよりも、自分が当事者ではない関係の出来事で、例えばあの人がもたらした彼女への苦しみを想像すると、私はそれが自分じゃないことに安堵もするし、言えない彼女の代わりに私が謎を解き明かしたいし、それは未だに私が、その人のことを深く、深く想っているからかしら。そして現在の自分の問題は棚に上げる。考えても、考えても、答えはでない。酩酊した、深夜の高架下を歩きながら、助けを求める。私を救えるのは、あなただけなのよ。どう廻ってもあなたに還るのよ。私を逃がして。


金曜日は朝までカラオケに行った。徹夜のカラオケは久しぶり。肺が潰れるまで歌いたかったので2時以降は烏龍茶に切り替えて、本気で歌う。どんな高音も手を抜かない。夜が消えて台風の青い重い夜明けの光が部屋を満たしても、まだ歌う。最後の曲を歌い終わるといきなり醒めて、次に歌う男はピエロのよう。ゴミの散乱する渋谷の街角で別れて始発に乗って、まだ疲れていない。疲れ切って、眠りたいのに。電車の中で3年ぶりの友人に逢う。始発には友人がいっぱいで、これから淋しくなったら始発に乗ればいい。途中下車して朝食を食べながら3年の人生を埋めていく。私の要約された3年間を自分で聴いて、笑っちゃうわ。向かい合う人の3年間は、着実で輝いていて、未来に向けてすっと伸びているように思う。眠りの訪れだけを、切望する私とは正反対の。

幸いにも起きると夕暮れで、横浜に向かう。東横線の中から見る夕暮れは恐ろしいほど美しく、この夕暮れを見ただけで、今まで生きてきた甲斐があると想う。
横浜で連れて行かれたのは、「食事を楽しみ、会話を楽しみ、空間を楽しむ、をコンセプトにパスタを中心に伊と和のエッセンスを絶妙に組み合わせたお料理が楽しめると、横浜駅西口で絶大な人気を誇る『伊太場』」。「伊」も「和」も微妙過ぎて微妙すぎて、腹いせに7種野菜の伊太場サラダ、伊太場風生春巻2種盛り、アスパラ・ベーコン・フレッシュトマトの伊太場ピッツァと伊太場責めにしてみて、案の定コンセプトに基づいた不味さでそれはそれで開放感を覚える。50ミリ100円という奇想天外な課金システムの赤い色水ではもはや悪酔いすらできず、渋谷まで戻って駅近くの居酒屋で、日付が変わったあたりから口直しのビール。黄金の液体でお腹も、サンダルの足も、むき出しの腕も、何もかも冷えて痛い。異常なほど私は明るくてパワフルで、体の底から笑いが湧き上がってくる。相変わらず深夜の渋谷。じゃあねと別れた途端、絶望する。まだ、夜。タクシーで一気に家に帰るのをためらう。いくつもの、角を曲がって次のコンビニの白々しい灯りを目指して無事に到達できたら次の灯りまで。もうじきその人の住む町の駅。たまらずにタクシーに乗って、目を閉じて、その人の家の前を通り過ぎる頃、薄目を開けてアパートの灯りを確かめる?
確かめない。どっちでもいいのよ。世界のどこにいようが、何をしてようが。


愛してるならば?
愛しているの?
愛しているのなら、なんで?


二度と目を開きたくない。眠ったままで。