ようやく友人からオーブンレンジが届いた。・・・いまさらーーー。まあいいわ。残された時間で、私ははりきってアップルパイや七面鳥を焼こう。



帰宅途中に小雨がぱらついた。会社にためていた傘は今日なら二つ持って歩いていてもおかしくないだろう。そして、渋谷でふと、美少年のことを思い出した。今日は月曜日。8時まで渋谷のあの場所にいるはず。今日は傘を持って出ていないだろう。


迎えに行こうかな。


ああ、嫌なひらめき。
これは、やってはいけないことのひとつのような気がする。不意打ちは良くない。私が逆の場合を考える。
何の前触れもなく、傘を持って待っていられて嫌なのはどんなとき?


1 その人のことが嫌いなとき
2 他の人とこれから約束のあるとき
3 他の男と一緒のとき



1は、たぶんダイジョウブだと思う。愛されてはいないかもしれないが、嫌われてはないだろう。今までの行動を鑑みるに。
2も、たぶんダイジョウブだと思う。昨日、今日の夜都合がつけばごはんを食べようかと誘われていたから。
3は、これはあらかじめ分からないから、もし他の女の子と一緒ならば、私は声をかけなければいいんじゃない?

ということで、私は彼のいるはずのビルの向かいにあるカフェでお茶を飲みながら、待つ。
そしてちょっとやばいかなあと思う。これは、自分の位置がわからなくなってやってしまう、私のまずい性癖のひとつ。なんとなく、もどかしさを感じると、やらなくてもいいことをやってしまう。愛情表現ならば、もっと別の方法ですればいいのに。違うよね、愛情と言えるほどの感情かどうかもわからないんだから。それにいやだってどうせ彼からは「お腹空いた」と電話がかかってくるだろうし、私だってお腹が空いたし、彼はそれまでの自分の所在を私に知らせているわけだし、早く会った方が効率いいじゃない。でもわからない。今日は電話がかかってこないかもしれないし、自分の世界にいきなり登場する私を、彼は疎ましく思うかもしれない。もしかしたら逆鱗に触れて二度と会ってくれなくなるかも。でも、悪いことをしているワケじゃない。これでだめなら、いいわもう。なんてぐるぐる考える。


ああ、私は、本当に私はなんて、不器用。


ただ、雨に濡れて欲しくないだけよ、と唱えながら、久々に買った penをちらちら眺めるけど、全く頭に入らない。そして 8時10分を過ぎた頃、彼が現れる。相変わらずの美しさで。一人で。
私は荷物を持って、店を飛び出る。彼を呼び止める。彼が振り向く。やや驚いた顔。どうしたの?と言う問いに、用意した返答の全ては、見事に吹き飛ぶ。不自由な日本語がこぼれる。


待ってたの。傘、持って。


雨は既に止んでいる。
彼は、手を天にかざし、雨が降っていないことを確認してから、言う。
「そっか。ありがとう。丁度良かった。ごはん食べない?」
そして閉じられた傘の一つを、私の手から奪う。


まるで少女のようだ、と思う。
垢抜けたように振る舞っても、私は私。だんだんと、苦しくなっていって、最後はとても幼く終わる。
たいていの女は、だんだんこういう負荷を背負っていくんじゃないか、と思う。少なくとも私はそうだった。上手くとっていたバランスが、だんだんと崩れて行って、やがて破局を迎える。それは、関係が深くなればなるほど、少しずつ背負う負荷で、どうしようもない。憎しみじゃない。悲しい重り。
私は、今日ひとつ、その負荷を背負ったのだろう。一度背負えば後は時間の問題で、私にできるのは、せめてその積み重なっていくスピードを遅くするか、なるべく重りを意識しないように生きていくことだけ。多くの恋人たちが、それをどう処理しているのか。話し合って重りを取り除いてもらったり、もしくは二人ともが少しずつ背負っていくからプラマイゼロなのか。私は、わからない。とりあえず、「日常を積み上げ」ないと。


その後、私の「日常を積み重ねる」の訓練に付き合ってもらう。テレビのコンセントを久しぶりに差し込んで、「エンジン」を観る。木村拓哉ひさしぶりー!つーかドラマ自体何年ぶり?ああ、やっぱかっこいいね木村拓哉。白いパンツはこの美少年よりも上手く着こなすかもね。夕食は私が取材で大量に仕入れてきたパン。築半世紀近くたっていそうなアパートの 2階の4部屋の内側の壁をぶち抜いただだっぴろい彼のアパートは、 4つの蛍光灯のうちの左から 3つ目が切れていて変な陰影を作る。ワインを飲みながら、ひたすらパンを食べる。やっぱりあんまり現実的じゃない。もう。いいわ。
たぶんもう少しで彼は、またしばらく消えてしまうだろう。喫茶店で奇声を発して私を抱きしめて、満面の笑みを浮かべた後走り去ったように。そろそろその時期だ。だてに風変わりな男とばかりつきあっているわけじゃないわよ。そういうのはもう理解できるし、予測もできる。あー、せめてゴールデンウィークの前にそれがきてくれればいいなあ、とカレンダーを睨みながら温泉旅行に生理がかかるか検討するときのような気持ちになる。前回の消失は1週間で、 次に会ったとき彼は3キロ痩せていた。たぶん その後3キロは取り戻しただろうけど、次は 5キロくらい痩せちゃうかもしれないから、本当はパンなんかじゃなくてもっと栄養のあるものを食べないと・・・。考えて、私は少女なのかお母さんなのか分からないな、と思って笑う。


帰り道、どこか遠くの雲の中で雷が鳴っていた。私は雷が怖くない。それどころか、雷鳴と強い雨音を聞きながら、ベッドで布団にくるまれば、深い安堵を感じる。胸にはまだ鮮やかな蝶がいる。
解放して。
そう言おうと思ったけど、実は全くそんなこと、望んでいないことに気がついた。この蝶は、いつまでも胸に飼っていたい。
王子様の口づけはいらないわ。