恵比寿

今日は暑かった。
私はぼんやりと、恵比寿の街角のカフェで、特になにも考えることなく注文した特に美味しくもないサンドウィッチとオレンジジュースに1040円も払ったことになんとなくがっかりしながら、iPhoneマイケル・ジャクソンのButterfiesを聞いていた。10代の頃、私にとってマイケル・ジャクソンは人生の全てで、英語の教科書の“Hello,Nancy.How are you?”より先に、Black or Whiteの歌詞を暗記した。まだティーンエイジャーの娘を山陰の小さな街から、一人夜行バスで東京ドームで行われる彼のライブへ行くことを許可してくれた両親には、今でも感謝している。私がマイケル・ジャクソンに夢中になったのは、小学校4年の春、初めて訪れた東京ディズニーランドキャプテンEOを見たのがきっかけだ。後にマイケル狂となる私を母が容認してくれたのは、あのとき一緒にキャプテンEOを見た母も、彼なら間違いない、と思ったからだそうだ。
2001年に発売された「Invincible」は、当時の私の心をさほどつかまなかった。それでも今聴くと、驚いてしまう。聞き入ってしまう。だいたい、私はマイケル・ジャクソンよりも10年遅いのだ。それはいつもそうだった。アルバムのリリースとか、本当に大々的に、正式に発表したもの以外、山陰の小さな街に住む一人の少女が全精力を傾けて情報を入手しようとしても、彼の些細なニュースや映像が手に入るまでには3年かかった。私が胸ときめかせて見入るマイケル・ジャクソンは3年前のもの。まるで別の星の光みたい。
数年前、クロード・ルルーシュにインタビューしたときに、彼は言った。現代では、愛はとてもスピーディーだ。電話やメール。じっくり考えて向き合う暇がない。我々の時代は、ひとつの愛を実らせるのに、多大な時間がかかった、と。彼は特に、現代の愛のあり方を否定してはいなかった。ただ、その違いを語っただけだ。でも、過去のあり方に好感を持っているらしかった。私だってそうだ。
伝書鳩が危篤を知らせる時代があるならそこに行きたい。
1万2000キロ離れた場所の地下鉄の改札でひっかけてスーツのボタンが取れたなどという情報を、リアルタイムで知りたくなんかない。

先月からまた恵比寿で働いている。
この不況の時代に、まあまあの給料をもらい、それなりに大きな仕事をできる比較的恵まれた環境。もちろん私は全く興味がなく、それらを淡々とこなすだけ。今は別にそれでかまわない。社長は良識のある人で、会社の環境も良い。膨大なプレゼン資料を書きながら、心は常に別の世界の住人。ビジネスマナーだとか、クライアント満足だとか、トンマナ(トーンアンドマナーの略だって!!)だとか、くだならい。私は、美味しい食事と寝床があればそれで良い。
ずっと恵比寿は私にとって特別な場所だった。広尾のマンションに入り浸ったのは20歳の頃だ。駅前のスーパーのナスの表示がeggplantだったり、七面鳥が並んでいることに驚き、頻繁に連れて行ってもらう深夜の恵比寿のレストランに心ときめいた。23時を廻って、骨付き豚のグリルを食べる人があんなに大勢いるなんてしらなかった。私はすっかり夜型になり、1週間夕日しか太陽をみないこともあった。若くして成功した彼は、私の中ではagelessだったけれど、当時28歳だった。その頃の私にとっては圧倒的な存在だったけれど、今の私より若い彼は、戸惑い、心細いことも多かったのだろう。ようやく対等になれたのは、26歳の頃だ。数回の紆余曲折を経て、ついに彼は来世では私と一緒になるという結論に至ったらしい。何がわかり合えないか、何がわかり合えているか、それさえも分かってしまうから、この世では語り合うことはないって。私はその申し出を断った。
20歳の私はもちろん無垢で夢中だったけれど、10年後、こんな風にうだるような暑い午後、ぼんやりとまずいコーヒーを飲みながら、今の自分を思い返すだろうということを予感していた。ほとんどの人の生き様は、どこかで誰かが本や映画や音楽の中で語っている。
明日もどうやら暑いみたい。