リハビリテーション

ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」を読んでいる。素晴らしい小説です。これほど言葉に愛されている人を他に知らない。


言葉に愛されてる。


先日、私にそう言ってくれた友人がいた。
それは私が今までの人生で頂いた最高の賛辞。それはちょっと大げさ過ぎると照れくさいけれども、嬉しい。


先日、とあるバーでグリーンアラスカを飲んだ。130種類もの薬草を使い、今でもそのレシピは3人の修道士しか知らないというシャルトリューズはそれだけで完璧なリキュールだから私は、普段はこのリキュールはストレートで飲む。だけど、そのバーは初めての店ではあったけれど、グラスは美しく磨き上げられ、氷は固く純潔で、バーテンダーの指はしなやかで繊細だったから、カクテルを飲みたくなったのだ。
「アラスカ」はジンとシャルトリューズをシェークしたカクテルで、シャルトリューズを緑色のヴェールに変えれば、「グリーンアラスカ」となる。ヴェールのアルコール度数は55度、ジンだって40度あるから、かなりアルコール度数の高いカクテル。それが喉をつたい胃に落ちる瞬間は、私が最も自分の内臓を親しく感じるときだ。
私はそのときバーテンダーに、この「グリーンアラスカ」についての想い出を何か語ろうとして、でもそれが何だったのかさっぱり想い出せず、しょうがないから洗濯機の排水溝が詰まって水が溢れて、その原因は粉洗剤が詰まって固まっていたの、粉洗剤には気をつけて、などとどうでもいい話をしてしまった。
それで今日になってブログを更新しようと思ってはてなを開いて、あっと思った。
グリーンアラスカは私のブログのタイトルだったんだ。
およそ2年半前、あまりに辛い出来事に耐えられず以前のブログを逃げ出したのだけど、その私を追い詰めた張本人は、「私にどうして欲しいの?」という問いに、「アラスカに行って欲しい」と言った。ならば、私はアラスカに、アラスカよりももっとシビアでクールなグリーンアラスカに行ってやる、と思った。
その人から逃れて、でもブログに「手紙」というタイトルまで付けたのだから、私は見つけて欲しくてやっていたのだろう。明らかに。
滅多に、というは全く自分のブログは読み返さないのだけど(恥ずかしくて死んじゃう)、おそるおそる最初の頃の日記を見てみた。
切々と、手紙を書いていた。身を切るように。別に上手い文章でもなんでもないけれど、心を伝える唯一の手段として、私は真剣に、真摯に文章を書いていて、「言葉に愛されている」わけではないだろうけれど、言葉を愛していた。
今、私は毎日恐ろしい数の原稿を書く。単なる物件紹介から、インタビュー、旅行記事、ニュースリリース、メルマガまで、なんでも。特に光る記事でもなんでもない。重要視するのは、読みやすさ。最近は、絵を見るようにしか文章を読まない人が多いから、完結に、容易に。自分の文章は愛せないけれど、これは私の生きる手段なのだから、淡々と文章を書く。愛のない世界で。


手紙を書こうと思う。かつては一日に何通も「投函しない手紙」を書いていた。
結局、私は自分のために文章は書けないんだ。誰かに向けてしか。
別に文章だけじゃなくて、私がするあらゆる行為は、結局誰かのため、じゃないな、誰かに向けてされるもの。別にそれが伝わろうが伝わるまいが、私は孤独だけど満たされたし、「愛があった」。
なんだかな、今は、何を語っても陳腐な私の言葉だけれども、ちょっとリハビリが必要ね。リハビリに行ってきます。