中途半端

今朝、久しぶりに社長と話す機会があったので、「編集長がじゃがいも上司っていやなんです」と言ってみました。すると社長は笑って、それはいずれ変わるよ、というから、「じゃあ私の心の編集長は社長ということで」と言うと、社長は「いいじゃないか」と言った。別に役職なんて関係ナイといえばないけれど、心が軽くなりました。いつだって直球勝負のしゃるです、こんにちは。


Yahooのバナー広告に、「あなたのきれいの残高、どれくらい?」と言われ、ぎくりとしたので私のきれいの残高を見てみたら、ものすごく少なくなっていてびっくりした。と、いうことで、ランコムに行きました。このところ、ランコムカウンターから足が遠のいていました。恋人は化粧の嫌いな人で(今まであった男の子、あ、恋人は男の子じゃないな、でも私にとって恋人はみんな男の子です、はみんな化粧というのが嫌いな人だった。化粧した女が好きっていう男って希じゃないかね)、私としてもべたべたと塗りたくったマスカラやグロスの顔を肩に押し当てるのは気が引ける。で、まあファンデーション以外の在庫はそれこそ10年使っても使い切れないくらい豊富だし、あまりランコムカウンターに行く必要がなくなっていたのです。とはいえ、いつも横目で見ていて、ああ、新しいアイシャドウでたなあ、とかリップがでたなあ、とかは思ってました。
土曜日、久しぶりにあの魔法のカウンターに座ると、やっぱり情熱の炎がめらめらと燃えさかり、新製品のリップ「カラーフィーバー」とアイシャドウ「カラーフォーカス」、アイライナーとチークと日焼けどめと下地とファンデーションと引き替えに、諭吉が3枚去っていきました。きれいの残高はちょっと増えたけど、三井住友の残高はすごく減りました。ってこんなオチにするつもりはなかったのに。く。

その後、再び海外に行くための中継地点として上京していた両親と渋谷で会い、父の日と父の誕生日を兼ねて父にプレゼントを買う約束をしていたので東急本店に行った。父の所望は「かっこいいデニムのパンツ」。
でも、恰幅の良い父に入るズボンってなかなかないべ。だんだん、普段なかなか行かないエリアに踏み込む父。Tシャツ一枚が2万円の世界に、どきどきしてしまう娘。結局ようやく見つかったご希望のデニムはアルマーニで、そのころには私もリボ払いという覚悟がついていたので、かんらかんらと笑いながらそれにしなよ、と言ったけど、内心今日一日で諭吉7枚に別れを告げる自分に衝撃を受けていたんですが、後で母親がこっそり諭吉2枚をくれました。お母さんありがとう(>_<)。まあ父としても娘に見立ててもらうだけで十分だと思っていたらしく、買ってもらうつもりはさらさらなかったらしいけど、だけど私も27歳なんだから、見立てるだけなんてわけにはいかないよねえ。

その後姉のセレクトした神楽坂の「紺屋」という民家を改築したお食事どころに行き、楽しい夕食のひとときをすごしました。
なんだか、本当にリラックスして楽しくて、私たちは64歳のリタイアして悠々自適の生活を楽しむ父と、61歳になるとてもお茶目な母と、34歳になる独身エリートの姉と、27歳のいつまでも気ままに生きる私という家族構成なんですが、今でもものすごく仲が良くて、日頃は全く別々に暮らしている我々ですが、こうしてたまにあってもとても友好的に楽しく過ごすことができる。なんで、私は敢えてこんな居心地の良い家を脱けてどっかに嫁に行かねばならないんだろう、と思う。しかも相手は子持ちで収入もたいしてないし、15歳年上の中年だ。本当に、なんでまた、父を心配させてまで、私だってアフラック個人年金に加入しろとか恋人にうるさいことを言ったりしていらついたりしながら、血の繋がらない子供と同居しているんだろう?
だけど、その楽しい食事会を終えてから私は雨の中、神楽坂五十番に立ち寄り熱々の肉まんを二つ買い、恋人に電話を入れて、今から帰るね、という。そこには優しい気持ちが満ちあふれていて、ここに嘘はないんだ。

まあ、良い。

地下鉄の中で久しぶりに村上春樹の「ねじまき鳥」を読んでいたら、美味しい水が飲みたくなった。コンビニでエビアンを買って、それは特に美味しくもなかったのだけど、電車のドアが開くたびに、水の、雨の匂いがする。
ずっと、雨降りだ。東京の天気というのは半端なくて笑っちゃう。
梅雨と言えばずっと雨。夕立と言えば、空を割るような雷と豪雨。冬晴れと言えば1ヶ月以上雨が降らず唇は割れる。
本当に、ストレートで笑っちゃうよ。私の育った裏日本では、たった一日ですら天気はころころ変わった。晴れがあり、雨があり、午前中涼しいかと思ったら午後からむせ返るような猛暑になったりした。湖は、夕陽の名所だけれども美しい夕陽が見れる日は滅多になくて、たいていはどんよりとした雲がたれ込めていて、運の良い日にはその合間から金色の陽の筋が湖に一直線に突き刺さる様子を見ることができた。
東京に生まれて育った人にとっては、この言葉通りの天気が当たり前なのだろうか。
たぶん私の体には、ころころ変わる天気の方が慣れていて、今後もこの東京の気候に慣れることはないだろう。だけど、いつも新鮮で楽しいのです。この徹底的な雨降りが。