ワールドカップの魔力

昨日は辻堂くんだりまで取材に行ってきました。
ある芸術家のインタビューだったのですが、行く道中、じゃがいも上司が「さて、今回はどう彼を料理するか、しゃる君なりに考えたかな?」と言う。
えーーっと・・・。じゃがいも上司は、できるだけ芸術家内面を浮き彫りにしろ、突っ込んで突っ込みまくってその人となりを読者に伝えろ、人が一番興味があるのは人なんだよ、と言うのだけど、私はそんなに人間が好きじゃないんで、彼の内面とかどうでもいいです。と、いうよりも、芸術家が提示するものは作品であって、その内面は暴き出すというよりも、そこに溢れるものだろう。アグレッシブにきき出して原稿にしても、訊く方も訊かれる方も読む方もみんな疲れちゃうと思うんだよ。謙虚な気持ちでゆったりと1時間もお話をすればおおよそ見えてくるものを、そこに漂う空気全般とともに伝えることが、芸術家に対するインタビューでは大切にしたいと思うしゃるです。

昨日、初めてまじめにワールドカップを観戦しました。スポーツ観戦というのは一緒にする人がいればとても楽しいものですね。だけど結果は悲しいものだった。私は再び体調が思わしくなかったので薬代わりにシャルトリューズエリキシルをお湯割りにして飲みながらソファでタオルケットにくるまっていたのですが、試合が終わってもまあ残念だったねーくらいだったのですが、恋人は本当に悔しそうだった。普段はクールビューティーをチャームポイントに掲げる(彼が個人的に)あまり感情の凹凸のない人なんですが(あ、でもすぐ怒ります。私がスイカにうまくタッチできずドアが閉まってしまうときとか)、これはかなり悔しそうで、ベッドでもぶすぶすしてるから、あんまりがっかりしないでって慰めてあげるほどでした。そしたらなんだか、悔しさが表層にでてきたというか、先ほどの試合の不燃焼をここで爆発させるかのような攻撃的な責めにあい、なんだろう、ガムを噛みながら金髪のチアリーダーの彼女をいつもつれてあるくヒーローの挫折を慰める、影ながらいつもヒーローをみていたそばかすだらけの図書委員長みたいな気分になりました。とはいえ、恋人は普通の子持ちの42歳で私は普通の風邪ひき27歳で、そういうイマジネーションをかきたてさせるワールドカップの魔力みたいなものを感じ、なるほど世間ではあれほどワールドカップが騒がれるわけだと思った。

と、いうわけで来月はバリ出張がはいりそうです。久しぶりの出張で楽しみではないといえば嘘になりますが、バリなんて一人で行くところではなかんべー。
最近はすっかり寂しがり屋になって一人で時間をつぶすのを困難に感じます。よく昔は一月とか一人で旅行いってたよな。だから、本当に一人旅というのは行けるうちにいっとくもんだと思います。そのうち、一人では行けなくなっちゃうから。