迷子になりたいときは飯田橋へいくんだ、というその人の言葉を、それはもう7年近く前の言葉なんだけど私は未だに守っていて、だから昼間はもう春を確信できるほどの暖かい日だったのに陽が傾くとやっぱりラウンド型の襟元が寒くて首をすくめたくなる、飯田橋の駅の橋の上で、行き交う人混みを眺めていた。
こんなことをするのは数ヶ月ぶりで、思えばかつてはよく、こんなことをしていた。深夜2時のカフェで昼間の2時と違わないような人の多さとパワーに時間を失って、呆然と眺めていたとか。

その日は朝から変で、たとえば久しぶりにゆっくりと休日の朝の儀式ともいえる朝食では、ホットプレートに落とした卵が双子だったし、ミルクティー茶柱が立っていた。だけどまあ、取り立てて不吉の前兆だとも思わずに、部屋を片付けて、お布団を干して、洗濯をした。昼前、恋人は娘の学童の集まりがあるとかで出かけ、私は4ヶ月ぶりの美容院を予約していた。
半年以上待ってようやく空きがでた駅前の駐輪場で登録の手続きをすませ駅の階段を駆け昇ったときに電話がかかってきて、それで私は今朝の不吉にようやく思い当たった。

相変わらず低くよく通る声で、今、日本に来てるんだ、明日には帰るんだけど、もし良ければ昼メシでも。

前回逢ったのは真夏のヴェニスで去年の8月だ。
あの日も突然現れたけど、考えてみればこの人が突然でなく現れなかった試しはない。
わかんないけど。
どこにいるの?
私は答えて、彼はいつも宿泊しているホテルの名と部屋番号を伝えてくれた。

美容院はそのホテルの駅のふたつ先の駅にあり、ぎりぎりまで私は迷っていたけれど、本当いうと迷いなんてなかったんだろう。
行く、しか私には選択肢はなかった。
電話を受けてから30分でその人の宿泊するホテルのドアをノックすることに躊躇いを感じるとか、この二つ先の駅に用事があったからと言い訳をするとか、そういうまどろっこしい手順はもう、私たちには必要ない。

私は一気にエレベーターで27階まで上昇する。
かつて知り合いのホテルマンがこのホテルのことを、東京一高いラブホだといっていたけど、たしかにな、と思う。

私はドアのノックして、別にもうとっておきでもない、笑顔でドアが開けられるのを待つ。
彼は相変わらず、昨日会ったような、よおという短い言葉で私を招き入れる。窓際のテーブルの上にはたばこの吸い殻。懐かしい、ベルガモットの香りとたばこの匂い。ルームサービスのクラブサンドウィッチとムール貝のリゾットと、ナストロアズーロを飲みながら、彼は今回の東京での仕事の内容を軽く話し、私は先日インタビューしたフランス人の話をした。
そして寝る。彼はちょっと痩せていて、私の鼻がシャープな鎖骨にあたる。肌は前と変わらず、白くて乾いていて、彼の体の周り1センチは北寄りの風が吹いているようだ、といつも思う。体温は高まるけど、決して燃え上がるような情熱じゃない。だけど、情熱じゃなかったら、この逢瀬はなんなのだろう?
宿命だ、と思って、だけどほぼ一年前に、来世では君と人生を共にする、という言葉に、私は輪廻転生を信じないと、その瞳を見据えて言ったくせに、宿命なんて言葉を使う私に、思わず吹き出した。


心には、触れない。
嬉し涙も悔し涙も悲しい涙もない。


今後もこういうことが繰り返されるのだろうという、諦観に似たものがある。
だけど、それはいつまで続くのだろうか?

この人と出会ってからすでに7年が過ぎた。彼は結婚し、子供ができた。私はその後幾人かと付き合い、同棲をはじめた。未来、私が結婚し、子供ができても、この関係は続くのだろうか?
そう思うと、なにか希望に似たような感情があることに気づく。
もしかしたら私の人生で唯一変わりないなにか、歴史の刻印のようなものが、ここにあるのかもしれないと思う。


もう、卑怯な男だ、と責める気持ちはない。
私は、私の選択でここにいる。
私たちは、ようやく対等になれたのかもしれない。



宵の気配が部屋を満たす前に、私は部屋をでる。
別れられなくて、一晩中しがみついて明け方ちょっと眠ったら、誰のいない部屋に「See you」というメモだけが残されていたことがもあった。
だけど、ともに過ごす時間が18時間でも2時間半でも、あまり関係ないんだ、私たちには。話残したことも、足りないキスもない。一生というスパンで考えれば。



そのまま黄色い電車にのって飯田橋に行く。
そこで、しばらくぼんやりとする。
ものすごく、空虚な体だ。


携帯が震える。
恋人から、写真付きのメールだ。
今日は、先日私がだだをこねてようやく手に入れた、箱根登山鉄道プラレールを、彼の娘と一緒に組み立てているらしい。

そのとたん、私はようやく本当に迷子になって、そうか、帰るところがなければ迷子にもなれないんだと、気づく。
ようやく血が通って、熱い、涙が後から後から後から後から頬を伝う。


愛しているか?
わからない。そんなもの、どうでもいい。
私の恋人だって、亡き妻と私、どちらが愛しているかなんて、答えられないだろう。
生きていても死んでいても、同じだ。
過去だろうが、現在だろうが。
みんな、それぞれに想いを抱えて生きているんだろう。
だけど、今、誰を大切にすべきかは、知っている。

嗚咽が少し治まったところで、電話をする。

「もしもし。今から帰る。夕ごはん、どうしよっか。とろろ?わかった。じゃあ帰ったら私がながいもするから、麦ご飯たいといてくれる?美容院、いけなかったの。予約しなかったらだめだった。甘く見てた」

ばぁーか、という恋人に、うるさいよと言って、電話を切る。
帰る前に、どこかでシャワーを浴びたいと思う。それがマナーなように思ったけど、今更、何を言い出すのか。

あの人は、どこに帰るんだろうか?
迷子にもなれなくて、だから、飯田橋に来ては、夢見てたのかしら。
迷子になれる、安堵を。