出口

生まれて初めて6歳の子供に絵本を読む。
子供が苦手な私がたどたどしく、ソファに寝ころんで「だるまちゃんとてんぐちゃん」なんか読む様子を、その人は洗い物をしながら聞くともなしに聞いているのだろう。
それは意外にも楽しくて、小さなその手のひらが私の顔に、ふれる瞬間今まで経験したことのない類の愛情を感じたりする。
てんぐちゃんって子供だったのね。ビジュアル的に先入観で、私はおじいさんだと思ってたよ。


朝9時に、その広いキッチンで、ハッシュドポテトと、生ハムとエメンタールチーズのサンドウィッチを作るその人の後ろで、不慣れなエスプレッソマシーンではしゃぎながらカプチーノを作る。3杯目にしてなかなか巧くできたカプチーノを飲みながら、キッチンの戸棚に隠れるチーズフォンデュの鍋やパエリア鍋や七厘をみつけては、楽しい約束が次々に交わされていく。
ゆったりと朝食を食べていると、その人のお母さんが竿を借りにやってくる。私の存在にすばやく驚きを隠して、おはようございます、と声をかけてくれる。

この2週間で生まれて初めてのことがやけに多い。今までの恋と正反対に、やってることはひどく日常的なのに、そこに潜むすごいプレッシャーに深夜動揺して、いきなり泣き出してしまう。
まるで子供が二人いるみたいね。どこまで深く、甘えるつもりなの。


週の半分以上を自宅ですごさなくなり、
高熱費だの電話代などの金額が、いくらか確認されないままに私の口座から引き落とされていく。
現実が薄らぐ。
唯一私に残された時間は、まだ慣れぬ街の朝の光の中を、一足早く一人で駅に向かう時間で、公園の脇の坂道で、流れてくる音楽にラジオ体操の存在を想い出したりする。光りの向こうで跳ねる人々は、路上に打ち付けられた雨粒のよう。
満たされている満たされている満たされている。
だけど、哀しい。
何が?
いつか来る別れが。
この人は、私がいなくても生きていけるかしら?
どうして私は別れることを前提としているのかしら?

何か期限があるかのようにのめり込んでいるけれど、永遠ならば逃げ腰になる。どうしたいの私は。

限りなく素敵な約束の数々は私の口から脳に達する前にあふれ出て、しかもそれは叶えられてしまう。
もうぱんぱんになって、不安になって、だからまた逢って、もう、どこが出口なの。