期待

誰かの連れてきた赤ちゃんを、とても慣れた手つきで抱きかかえてあやすその人の姿をMac越しにみて、激しく動揺して原稿もしどろもどろで、もう一度上目遣いで見上げたらその人と目があって、それで私はもう耐えきれなくなってその場から逃げ出した。なにか伝えたいことがうまくいえなくて言葉を足していけばいくほどかけ離れていくときの焦燥感に似ている。それと、なんだろう、この「照れ」は。私より 15歳年上で6歳の子供のいるその人が赤ちゃんを抱くのに慣れているのは当然のこと。一方私は子供全般が大の苦手。ましてや赤ちゃんなんて怖くてしょうがない。「かわいい存在」だとは思うけど、「かわいい」とは思わない。螺旋階段の下にある、藤棚の下のベンチで脈を整えているとその人がやってきて、煙草を吸う。ヴァージニアスリム。ものすごくバツが悪い。私は失態を犯した子供のようにその人の横で膝を抱える。そして、この気持ちを吐露しようか迷う。一人でスリランカに行くのも、バーに行くのも、夜中のプールに忍び込むのも怖くはないけれど、私は子供が苦手なの。怖いの。どうしていいかわからないのよ。でも、その訴えは正しい事かしら。この人には子供がすでにいて、私にはいない。圧倒的な差異。恋人としてのスタートは、あまりに違うのではないかしら。いきなり泣き出したくなって、ばかか私は、それに逃げ出したことすらこの人は気づいてないかもしれないじゃない。決めたじゃない。
「この人の優しさに浸るの」。
私に苦しいことがあってはならない。
だって私は天使なんだから。
いや、本当にばかか私は。こんなにも愛されるのが苦手な女じゃない。
無理して天使であろうなんて愚か。
じゃあ私は、何になればいいの?



あと2週間でこの地獄から解放されます。
全体的にハイテンションに持って行くので、この時期は全く苦痛ではなくて、肌の色つやはいいし、生理はきちんときてしかも生理痛は感じないし、結構恋人に対しても時間を割いたりなんかしちゃうし新しい恋が始まったりもしちゃう。まあテンションが上がってるからね。怖いのはこの糸が切れたとき。うまくテンションが下げれればいいのだけど、うまくいかないと迷子になって、そういえば昨年は一人でウェスティンホテルに泊まったり翌日も深夜まで一人六本木を飲み歩いたりして、あの喪失感を埋めたんだった。食べても食べても食べても空腹で、食べ過ぎて吐く。今回この地獄から解放されたら私はヨーロッパに高飛びして、戻ってくるところはない。それでも別にかまわなかったのにな。ちょっと前までは。
不思議だわ。私の帰りを待つ人がいる。
私のことを愛する人がいる。
私の存在を必要とする人がいる。
不思議だわ。
世の中のみんなは、本当にこんな重い期待に応えて、
笑って生きているの?