差異

駅の出口で待つ彼は、私を見つけるなり手を引いて、大雨の夜の路地を全力疾走して、奇声を発して、ありもしない言葉を作る。傘を翻してじゃれ合って、壁で踊る影に殴りかかって、弾ける雨音をリズムに音楽を奏でる。街灯が固く照らす車に押しつけられた体は、じわじわと雨水に犯される。雨は激しさを増し、呼吸をするのも困難で、ただ私はその美しい首に夢中でしがみついて、神様に感謝する。ありがとう。この一瞬を与えてくれて。
もし、この想いを、私を愛してくれたと言ったあの人にいだけたら。
そんな愚かな想いは、ボタンを付けるときに誤って皮膚に刺さる細い針のように鋭く細かく私の脳に突き刺さるけど、彼の生み出した次の新しい言葉で一瞬にして瓦解する。
いいの、舞い降りた白鳥と、私は一瞬の戯れを体に刻む。春が来ても北に飛べないお堀の白鳥には興味ないもの。その、本能だけで、生きていくあなたが好き。我が儘で身勝手なめんどくさがりやの王子様。そして、想う。白鳥は、同じ湖に帰ってくるのかしら。昔北海道に出張にいったとき、大沼で白鳥の大群を見たけれど、そこはもともと白鳥の飛来地ではなかったらしく、近くに住む漁師の吉田さんが必死に白鳥誘致のために努力を重ねたんだって。ならば、努力で毎年飛来してもらえるのね。ああそっか。ということはどこの湖にも飛来する可能性があるのね。私の湖に飛来するのは何年周期なのかしら。



今日は取材で都内をかけずり回っていたためデニムにスニーカーというピクニックルックだったのですが、浅い靴下をはいていたら靴ずれになってしまった。痛いなあと足をかばいながら帰宅し靴を脱ぐと、左足が血まみれ。皮がだらーんとむけてる。うひゃあ。見も心もぼろぼろの 26歳!血も涙もどんどん流して行くわよ!

そんな出血大サービスの私だけど、体が丈夫なのが取り柄。血も涙も枯れ果てたけど、肝臓以外は驚くほど健康(先日の健康診断でついに肝臓に異常が認められたよ。だからといって動じないけど)。とりあえあず余分なことはどうでもよくて仕事が忙しい。時計を睨みながら仕事をする私の携帯に美少年からメールが入る。
熱、なにか、頼む。
電車男か君は。
果物とかうどんとかを買って向かった彼のアパートの、ドアを開けた途端に病人のいる匂いがする。濡れたぬいぐるみのように眠る彼。私に気がつくと手を伸ばして私の額に触れるけど、その手は妙に乾燥して温かく、私は「パリの確率」という映画で主人公の男が砂漠に向かって、空飛ぶ自転車みたいなもので向かう映像をぼんやりと思い出す。布団の端に顎をのっけて危うくどこか乾燥した熱い地へ行きそうになる私を体温計のアラームが呼び戻す。38. 8度。どうして俺だけ風邪ひくんだとぼやく彼に、それはまだ世界に神様がいるからよ、と思う。あなたが風邪をひけば食料を持ってやってくる私がいるけれど、私がどんなに高熱をだしたところで、うつるからと逃げる男か、熱に浮かぶ私に欲情する男しかいないもの。あーあ、なんて世の中だ。
ドラキュラ、あなたは私に、君は振り回され好きなだけだといったけど、本当にそうね。
世の中は、実に巧くできている。振り回したい人、振り回されたい人。責めたい人、責められたい人。愛したい人、愛されたい人。
どっちでも、私はいいけれど。満たされていれば。
だから今、この満たされた瞬間に、単なる風邪のウィルスならば私の強靱な肉体は冒せないとしりつつも、その病原体に口づける。そしていきなりあのとき熱に苦しむ私に触れた、あの人の気持ちが分かった気がして、一瞬体を離して、実は、人は全て一緒なんじゃないかと、差異なんてあるのだろうかと、驚いてしまう。
だってあなたと私の違いは何なの?