ヒトウナ

Chartreuse2005-07-07

携帯を替えました。電池パックが弱っていて3時間ともたなくなった。ラブラブコールの途中の残酷な切断。耐えられないわ!てことで来月ヨーロッパに行くのでVodafone 3Gにしようかと思ったらなんと先日3G友達が家に遊びに来たときに電波がはいらなかったんで、やっぱり普通の携帯にした。iPodに合わせて今回もホワイトです。我が家にはテレビがないので(故障中)テレビ付きにしようかと思ったけど、ま、家でも見ないのだから外でも見るまい。
この携帯の使用期間425日でその間にあの人からもらったメールは250件。朝の電車でなんとなく最初からすべて見返して、すべての受け取ったときの感情をあまりに鮮明に覚えている自分に驚いたりする。




昔、ブルーとグリーンの目と額に小さな黒いシミを持つ白い子猫が小さな兄弟たちとミルクで満たされたお腹で安心しきって眠っているすきに、私はその子をさらってきてしまった。あの子も母猫も、数日間は私を恨んだだろう。言葉が通じないのを幸いに、私はその憎しみと悲しみを無視してしまったのだけど、おそらくあのときに呪いがかけられたのだろう。
「お前は決して愛してくれる人を愛せない」。


2005年も上半期を過ぎたところで、早くも今年の「愚か者・オブ・ザ・イヤー」が決定しました。謹んで賜りましょう。愚か者色のトロフィーを。
深夜3時に逃げ出した雨の円山町はあまりにも残酷な終焉なのに、さらに絶望的なのは相手にとってはそこからがスタートだという差異。もう死んでしまいたい気分になるけれど、もっと残念なのは、人を傷つけたくらいでは自分は死なないという点。この自己嫌悪は自分自身の失恋の痛みに比べたら、遙かに軽傷。やりきれない気分にはなるけれど、テキーラの力を借りなくても夜が来れば眠ることができる。そしてこの悲しみは、誰かを傷つけたという事実よりも、私は、私を愛してくれる人を愛すことができない、私は、私を愛してくれない人を、強く愛すことができるという私の背負った不幸を確認してしまったから。せいぜいドラキュラに電話して訴えて、訴えながら気づく。私はもう、ドラキュラだからさ。

そんな26歳の女が向かうのは、鰻屋。何を隠そう私は鰻が大好き。落ち込んだら、鰻だ鰻。一人鰻。ヒトウナ。東急本店のレストランフロア「日本橋伊勢定」。鰻重「竹」と肝吸。今年は鰻をよく食べた。手帳を見ると21日サイクル。それほど落ち込むことが多かったのかしらと思って、でもまあ落ち込めば鰻が食べれるんだし、まあいっか、と思う。でも今日の鰻はべったりとして味がなくて、漬け物が妙に辛くて、これは鰻が悪いのか私が悪いのか。わからないのは、よくない。あの人は、大切なのは、単純化することではなくて、解きほぐすことだと言った。単純化してはだめよ。問題を解くの。賢明に。でも、わからないの。ひとりでは。だれか、教えてよ。今日の鰻の出来を。本当にまずかったの?まずいのは私?
やばいわ、ヒトウナも不安になってしまった。これから私はどうしたらいいの?