芸術的な

Chartreuse2005-04-12

美少年美少年と言っていたが、考えてみればもう23歳で、少年という歳でもないわね。私よりも背は高いし、付き合った人の数も多いし、お酒も強いし。これからは美青年とでも呼ぼうか。うーん。でもそれもピンとこないわね。


その美少年(結局こう呼ぶことにした)は、ベンチで桜餅を食べながらへルシア緑茶に烏龍茶版が登場したことを褒め称える私に向かって(カテキン苦手)、わかった君ってポテロの彫刻に似てるんだ、と言った。ポテロ、ポテロ。聴いたことある。別れてしばらくして思いだした。フェルナンド・ポテロ。コロンビアの彫刻家。去年ガーデンプレイスで野外彫刻展やってたわ。あー。見に行った見に行った。私もさ、なんとなく親近感覚えたんだよねー。わははー。っていかん。ここでショックを受けて、取材に赴く途中乗った山手線の車内のスクリーンで流れるマイクロダイエットのCMに触発されて、私もストリクトなダイエットに励むべきなのだ。それで見事 3ヶ月で 18キロ痩せたりとかして(いや。そんなに痩せなくてもいいと思うけど)目標体重をクリアしたら、泣きながら「主人と子供に支えられて」とか「痩せて人生が変わりました!」とか言うべきだ。だけど、なんだかな。あの下品な広告費のために、原価はもはや一袋 100円もかかってないと思われるたった14食の流動食を16800円で購入するかと思うとなあ。でもなー。これって負け惜しみだよなー。結局それで痩せてきれいになってる人もいるしねー。リバウンドもしてるだろうけどねー。でもやっぱ痩せてたほうがかわいいもんねー。それにむしろ問題なのは、美少年にポテロを彷彿とさせたことに対して勲章めいた充足感を感じる私、心の中で軽くガッツポーズをしてしまう私。あれほど根暗なのにどうして、どうしてこんなところだけポジティブシンキングなの。そういえば、あの人は私のことを中途半端でよくない、と言っていた。太るならもっと見事に太ってみたら、と。人ごとだと思って適当なこと言わないで欲しいわまったく。


今日は雨。取材の帰りに本屋に立ち寄る。このところ全く読書が進まなかったが、消費者である私は読みたいときだけ読めば良い。読みたくないときは、遠ざかれるだけ本から遠ざかる。だけど、今日は本屋に足を踏み入れた瞬間、あの予感がした。
それはごく稀に訪れる貴重な瞬間。柔らかくて大きな、半透明のちょっと弾力のある、その外側はひんやりと冷たいけど、3センチ内側は心地よく温かい液体のようなもので満たされた、何か。その何かが、本屋に足を踏み入れた私を包み込む。そして私の背中をゆっくりと押す。久々にやってきてくれたそれが、消えてしまわないように、私は息を潜めてその先導に身を任す。邪魔な思考は閉ざして。お願いだから、今携帯なんて鳴らないで。導かれたのは海外文学のコーナー。一冊の本しか眼に入らない。装丁は白地で、ぽつりと彫刻の写真。初めてみる作家の名前。これを、読むのね?確かめるまでもない。それを手に取りレジに持って行く。
会社に帰る前にどうしても読みたくなった。ちょっとだけでいい。駆け込んだのは外光の遮断された音楽もかかっていない喫茶店で、遠くで談笑するおばさんたちの声が無機質な店内にこだまして、まるで中学校の昼休みに一人で本を読む教室。
改めてタイトルを見る。「ウェイクフィールド ウェイクフィールドの妻」。著者はナサニエル・ホーソーンと、エドゥアルド・ベルティ。ホーソーンの方は1804年生まれのアメリカ人作家で、突如失踪して20年後妻の元に何事もなかったように戻った男の話が前半の短編「ウェイクフィールド」。後半は1964年生まれの現代の作家ベルディが、その妻の側から書いた小説となっている。時間がないから、前半の短編だけ。
すごい。身震いしました。ちょっと涙がでるくらい。有名な作家なのかもしれないけど私は知らなかった。
私の風変わりな読書傾向はこうした突発的な、衝動というかなんだかよく説明できないものによって手に取ったものが多い。あの人に出会って、初めて体系的に本を読むことを知った。
前半だけを読んで店を出る。小雨の夕暮れは意外に明るい。春だものね。だけど花冷え。トレンチの襟を立てて、早足で駅に向かう。ああ、あの人に、電話して訊きたい。
ナサニエル・ホーソーンって知ってる?」。
あの人はいつものように「知ってるよばか。おまえが知っていて俺が知らねーわけねーだろ」とか「この小娘が俺に知ってる?てほざきやがった」と言うのかしら。そして、それに纏わる新しい世界を、私に教えてくれるのかしら。
気持ちは高ぶって、電話しない理由がわからなくなる。そのすばらしい世界の前に、私たちの間の出来事なんて些細なこと。
携帯を取り出して、発信しようと電話帳を押して、そこに名前がないことに気づいた。
そうか。
電話しない、理由はないけど、電話はできない。
そうね。それは、あの人が望んだこと。
携帯を閉じて鞄にしまう。
目を閉じて。
ほら、うっかり心を開かないで。

いつかまた、あの半透明の物体が、やってきて私に教えてくれるわ。それまで、黙って、待っていればいい。待っていればいい。