ぶたの足跡

類希なる美貌をもつ若き芸術家に逢う前に、いつも私の頭に流れるてくるのは、Herbie Hancockの「Gershwin's World」の3曲目。ハスキーボイズの女性が歌う、「The Man I Love」。この曲を聴きながら、美少年との面会に向かえば、私の視界はいつも秋だし、この一瞬が、すぐ先の未来でも遠くの美しい過去のように思い出せるのじゃないかと思う。

かつての恋人たちにはそれぞれ曲があった。私がその人のテーマ曲だと勝手に思っているだけだけど。それは、その人が勧めてくれた音楽だったり、一緒に聴いていたり、なんとなくその人の雰囲気だと思ったり。

直近の恋人は、Lou Reedの「Walk on the Wild Side」
その前の恋人は、Bill Evans の「Waltz for Debby」
その前の恋人は、10ccの「I'm not in Love」

そして、彼らに臨む私はいつも、Chara の「やさしい気持ち」だった。

次の恋人は、どんな音楽をもつのだろうか、と思う。今度はクラシックとかいいかもしれない。「平均率クラヴィーア」とか「ノクターン」とか。
だめだわ。病弱そう。しかも今人肉を美しく平らげる「羊たちの沈黙」のレクター博士が浮かんでしまった。うわぁ。


iPodで「The Man I Love」を聴きながら、待ち合わせ場所に向かう。いつもは焼鳥や定食屋で食事をすます貧乏な私たちだが、先日のバイトで小金を得た彼は、私におごってくれると言う。さすがにおごってはもらわないが、どういう店に行きたい?と訊かれたので、さすがに 26歳の女がもうどんなシチュエーションでも行けないようなこっぱずかしい店をリクエストしてみる。訪れたのは、ガムランが流れるアジアン異空間レストラン。エンターテイメントレストランってやつね。エントランスには水のせせらぎ、ゾウの置物、バリの調度品。店内にも大きなプールがあり、その下も部屋になっている。予約した席は、客席より一段高くなったところに設けられた天蓋付きのベッドのような席。わー、いやらしいー。これは、本命デートのときには恥ずかしくて無理だし、友達同士でも怪しいわ。一体どんな人が利用しているのかしらと思ったら、意外にもスーツ姿のサラリーマンとプチギャル系の女の組み合わせとか、 24歳くらいのちょっと姿勢の悪い女の子 4人組とか。ほほう。こういう人たちが利用するのね。料理はオリジン弁当のお総菜のようで、特になんの感動もない。不純物がたくさん入っていそうなカクテルは、 3杯以上飲んだら悪酔いしそう。だけど、私は大きなベッドのような席にのけぞり気味で座る彼を愛おしく思う。眠りに落ちる直前に近づいてくる乳白色の大きな球体に対して感じるような、受け入れがたさと、安堵。
帰り道、桜が満開で、それを愛でる人々がいた。私たちも桜を眺める。
一昨年も、去年も、あの人と桜を見た。「せっかくだから」とか「丁度良いから」とかそういうのを嫌うあの人を、誘い出すのは至難の業で、いつも、いつも中途半端に桜を見たなあ。今だって、ちょっと元気をだしてメールをしてみたら、あの人の事だから、意にも介さず、今年も桜を見ることができるかもしれない。だけど、今更一緒にどれだけ桜を見ても、どれだけ目を凝らして見ても、なんにもない。そして、ああ、理由なんて答えなんてなくても一緒にいられるのが、恋人なのねと改めて納得して、目の前の美少年に対する自分の心を不思議に思う。理由もなく、一緒にいるけれど、これは何なの?もし私が 4年前に出会っていたら夢中にはなっていただろうが、この人のあまりの美しさに私は尻込みしていただろうし、それでも私以外にも多くのガールフレンドを持つこの人に、絶望的なほど深い哀しみと怒りを覚えただろう。先日修羅となって現れた女の子(id:sumikko:20050319)の気持ちは、痛いほど分かる。あの人は、それは絶対にやってはいけないことだ、と言ったけど、そんなルールは誰が決めたの。


至上かつてないダーティーな反則は、常に余裕のある方が犯す。


そして、ああ、あの人の彼女は、今のこの美少年にとっての私のような存在なのかしら、と思う。
ばかな人たち。本当に、全力で愛してくれる女の子を、受け入れてあげればいいのに。どうせ、そんなにも軽く、人を愛して裏切っていけるなら、相手は誰だって同じなんでしょう?人は愛さない、と言い張るならば、体だけの関係にして。心に触れてこないで。

降りしきる桜の向こうでふり返る彼の姿に、一瞬息を呑む。今日は、天に還る日なのじゃないかと思う。いつものように静かに微笑んで、やけにゆっくりと、私に近づいてくる。
手を伸ばして私の前髪についた桜の花びらを、「ぶたの足跡」と言いながら、私のほっぺたにつける。
そして、私を引き寄せる。
密着した、彼のデニムのポケットの、携帯の振動が私の骨に伝わる。
今日は、どの女の子からの着信?


目を閉じる。
この人の、テーマ曲は何かしら。
いや。やめておこう。これ以上、聞けない曲は、増やしたくないわ。

Different Times

Different Times



Waltz for Debby

Waltz for Debby



Gershwin's World (Hybr) (Ms)

Gershwin's World (Hybr) (Ms)