アル中

Chartreuse2005-07-17

ちょっとしたごたごたがあり、とはいえ私は特に気にしていなかったのだけど、友人からメールがあり、「言っとくけど、ばらしたのは私じゃないわよ。尻は軽いけど口は軽くないの」。ちょっとした感動を覚えたしゃるです。こんばんは。



26歳にして、初めて人に愛されるということを知った女です。
女の子は誰でも誰かの天使になることができて、その幸福は、私がひたすら、がむしゃらに盲目に突っ走って好きだ好きだと叫び続けた恋の一瞬の恍惚と、同様に満たされるということ。
その人といて私には、今までの恋のような昂揚はないけれど、ただ私の存在がその人の人生の喜びになるならば、私は幸福だと思う。私はその人を大切にしたいと思う。その人に幸福になって欲しいと思う。こんな優しい気持ちを一体今まで誰が抱かせてくれただろう?


夢から醒めたなんて言わないわ。
現実の中でこんなに愛されるならば、これこそ夢。


ご無沙汰しています。この2週間、仕事しかしていない私です。この三連休はずっと仕事。朝から夜までひたすらひたすら。それでも身辺はめまぐるしく流転していき、必然的に私の状況も変わっていきます。おもしろいね。何かを変えたくて手当たり次第がんがん叩いても何一つことりとも動かなかったときもあるのに、黙っていてもくるくると、世界は変わっていくこともある。
この時期は何をしていても仕事のことしか考えていなくて精神的に参るのですが、金曜日はちょっと仕事が一段落し6時に会社をあがれたので、ディズニーシーに連れて行ってもらった。夢のようだ。私が行きたいと言う。叶えてくれる人がいる。夜の風は涼しくて、人はまばら。夜のショーはとても美しい。その人はただ私の手を握ってにこにことしているだけで何も喋らない。私は喋りたくなったら喋って、黙りたくなったら黙って、たまにかつての恋人たちのスピード感溢れるジェットコースターのような恋を思い出して、だけど切なくなるというよりは、この恋というよりは慈悲のような心を、これはこれで素晴らしいものだと思う。


そんな想いをぼんやりと尻は軽いが口は軽くない友人に伝えると、「ばかね男に確かなものを求めるなんて」との返答。「確かなものじゃない、今だけでいいんだよ。今だけ幸せならば」。私の返答に尻軽彼女は「そんなんアル中患者と変わらないじゃない」。「アル中患者でいいんだよ。幸せならばね」もしかしたら尻軽で口軽かもしれない私。口は軽くない彼女、「そうなのよ。しゃるちゃんと違って、私は、アル中になれない」。
その言葉にがーんときて、そうだよね、世の中にはアル中にはなれない人もいる。
この体を、犠牲にしてでも手に入れようとしている私
犠牲にできないから悲観的になって嘆き苦しむ彼女。
どちらも同じく過酷だと思って、それならどっちだ、やっぱり私はアル中だ、と思って、一人帰ったぼろアパートで、ぎんぎんに冷えたボンベイサファイヤなんか飲んで、早く酔っぱらってしまえと思う。