腹部エコー

Chartreuse2005-06-07

4年ぶりに健康診断に行ってきました。視力から乳ガンまですべて調べてくれる健康診断。今までずっと会社組織ともいえないようなところで働いてきた私。退職金も残業手当もボーナスもなかった私は、無料で(まあ保険料を納めてるのだけど)こんなにしっかりとした検診を受けさせていただき、組織の一員である自覚を新たにしました。なあーんて。さて。検診。男性と女性では所要時間が全く違います。女性はまず胴着(前がマジックテープになってる白いパジャマ)を着なければなりません。子宮ガンとか乳ガンとか、調べなきゃいけないところがたくさんあるから。私は初体験でどきどきだったんですが、子宮検診のため金属をつっこまれるのより、乳ガンのしこりがないか非常に事務的に確認作業をされるよりも苦痛だったのが、腹部エコー。ゼリーのついたチューブが痛くない程度に圧迫しながら下腹部を移動する。ときに微震。私の腹のうちを見透かすつもりなんだろうけど、とにかく気持ち悪いのです。息がとまりそうになる。子供は欲しいけど、腹部エコーがあることを思うと気持ちが揺らぐ。よくドラマとかで腹部エコーされながら「これが赤ちゃんですよ」とか言われるシーンがあるけれど、私は感涙にむせぶより早くこのエコーから解放してと泣き叫ぶと思う。


浮気をしたことはない。
付き合っている間にかつての恋人と寝たことはあるけれど、それは私の中では浮気に分類されないのだから、浮気じゃない。私はその時点の恋人以外は目に入らない。もしその人を上回る感情を持ち得る人がいるとすれば、それはかつての恋人だけ。それは当然だと思う。だって知り合ってからの時間が長いもの。それだけ想い出が多いもの。別れてからだって、私はかつての恋人を忘れたことなんて片時もない。あらゆる場所で、空気で、言葉で、音で、想い出しては、またそこにその人の想い出を刻んでいく(ああなんて女々しいの)。というかそういのが私の趣味だから。そして人に体を触られることを嫌う私が、触れられることを望む数少ない相手。だからかつての恋人は、別格。未来なんてもちろんないのだし、しょっちゅう顔を合わせるわけじゃない。たまに出会って、過去を懐かしむことに罪はないでしょう?もちろん、これを耳にして快く思う恋人はいないだろうから打ち明けはしないけど、それは浮気じゃないと断言する。だけど、恋人に新たな恋人ができたなら、例え遊びであっても、それは浮気だと思う。

そんな私でも、この二ヶ月間は、その人を憎もうと努めていた。もちろん心から憎めるわけじゃないことはわかっているけど、徐々に想いが冷めてやがて辛さが癒えるのをじっと待つよりは、力の限り憎んで恨んで、その人に世界のあらゆる不幸が降り注ぐことを願って、やがてばかばかしくなって忘れる方がラクだと思った。実際に、そうなりつつあった。だけど、久しぶりの電話でその努力は粉々に砕け散る。かつて、私の優しさのすべてを踏みつけていったその人のことを残忍で卑怯だと思ったけれど、それは私に畏怖があったから。今、そこにいるのはただ単におもちゃを欲しがる子供。寂しがり屋の弱虫。自分から思いやりとか約束とか、そんなものは放棄したらしいけど、他人が放棄したとたん、壊れたラッパみたいね。相変わらず身勝手でわがまま。やがて、誰も愛してくれなくなるわよ。もちろん今さらそんな説教をするつもりはない。おそらくその人は、かまわないというだろう。自分はいつもちやほやされるだけの魅力があり、自分が求めているのはその程度のものなのだ、というかもしれない。それを愚かだとは思わない。本当に、その人が求めているのはその程度のものなのだろう。そして、そんなその人を、未だに愛しいと思う自分に気づく。それでいい。それでいいわ。もはや人生が交わることはないだろうけど、私は、かつての恋人として、愛していていこう。そんな自分を受け入れよう。人生は自動販売機じゃなくて、ときにはボタンを押しても品物がでてこなくていい。もしかしたら、お金をいれなくても、欲しいものが転がり出てくることもあるかもしれないし。そして私は、そんなハプニングを楽しみに生きてるの。おそらくバカ比べをしたら私たちは張り合うくらいのバカだけど、ケチでいたずら好きのあの人は、壊れた自動販売機に目を輝かせて硬貨を入れる私の財布を盗んで、自分の自動販売機にこっそり投入するのかもしれない。私はそれに気づいても、やっぱりその人を笑って、許して、愛してしまうんだろう。墓石でも、私はあの人に向いて立っているのかもしれない。
 深夜、生きる意味について考える。生まれたからという理由だけで生き続けるのは、ハードだわ。やっぱり、求めてしまうし、願ってしまうし、期待してしまう。何か、素敵な未来を。それを私は「幸せ」と名付けて、たぶんそこに向かう、今、この瞬間も幸せ。
「幸せ」という言葉のもつ不平等や利己主義を無視して安易に使う私を嫌う、目の前にいる女一人すら大切にできないあなた。
かまわないでしょう?世の中には実にいろいろな愛があって、関係があって。
相変わらず、そこは私の寺子屋で駆け込み寺で。いや別に寺好きってわけじゃないんだけど。
息を吸い込んで。
無理して憎むのは体に悪いわ。超音波のエコーが怖いのは、そんな私の固まりが、潜んでいるのをおそれたからなの?もう、大丈夫ね。やがてあの冷ややかなゼリーにも慣れて、動く胎児に目を輝かせる未来があるかもしれない。夢ならば、いくらでも見続けることができるのよ。